日本の歴史【Q0101】科目最終試験過去問6題

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    資料紹介

    佛教大学 日本の歴史【Q0101】
    2017年度科目最終試験の過去問6題です。

    解答はテキストを中心に
    わかりやすく各問800字程度で
    まとめています。
    学習のご参考までにどうぞ。

    1. 奈良時代の政治について
    2. 古代社会における信仰の歴史について
    3. 執権政治の展開について
    4. 中世から近世の農民生活について
    5. 開国を巡る政治過程について
    6. 19世紀における政党政治の歴史について

    参考文献
    概論日本歴史 佐々木潤之助ほか編 吉川弘文館 二〇〇〇年

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    奈良時代の政治について
     奈良時代とは710年に都が藤原京から平城京に移されてから、長岡京・平安京に移されるまでの約80年間のことをいう。律令国家の建設に功績をあげた藤原氏は天皇家に近づいて権力を強めていた。729年、藤原四子が長屋王を自殺に追い込み、妹の光明子を聖武天皇の皇后にした。これが長屋王の変である。ところが四子が次々と病死し、橘諸兄は唐から帰国した玄昉と吉備真備を参画させて政治を行った。このことに反発し、740年、九州で兵をあげて藤原広嗣の乱が発生したが藤原広嗣は敗れた。

     聖武天皇はこうした不安定な社会状況の中で741年国分寺建立の詔、743年大仏造立の詔を出し、仏の力をもって国家の安定を図ろうとした。孝謙天皇の時代には藤原仲麻呂が光明皇太后と手を結んで政界で力を伸ばした。これに対して橘諸兄の子である橘奈良麻呂が藤原仲麻呂を倒そうと橘奈良麻呂の変を起こしたが失敗した。

     その後8世紀後半、藤原仲麻呂は勢力を伸ばし淳仁天皇を即位させると恵美押勝の名をもらい、太政大臣まで登りつめた。しかし孝謙上皇は自分の病気を祈祷によって治した道鏡を寵愛した。これに反発した恵美押勝が乱を起...

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