日本美術史Ⅰ
本レポートでは、奈良の中宮寺にある飛鳥~白鳳時代の「半跏思惟像」と、同じく奈良の興福寺・国宝館に収蔵されている天平時代の「阿修羅像」について記述していきたい。
まず中宮寺の「半跏思惟像」である。それが置かれている中宮寺の由来は諸説あるものの、聖徳太子がその建立に関係しているのは確かなようである。一説によると、聖徳太子が母である穴穂部間人皇女の逝去ののち、彼女が住んでいた宮に建てたのがこの中宮寺であるとされる。
さて、この「半跏思惟像」であるが、同時代における多くの木彫像と同様にクスノキで作られている。だが、この像は別々に作った様々なパーツを組み合わせていく寄木造という技法で製造されており、一本の木から彫り出していく一木造で作られている同時代の他の作品と相違する、大きな特徴である。一木造では形を自由に変更することが困難であるが、寄木造であれば木材の組み合わせ方を工夫する等である程度の調整が可能で、「半跏思惟像」では右手にその工夫が行われている。半跏思惟を表す像は、インドや中国、朝鮮半島に多数残されており、日本にも飛鳥~白鳳時代に流行した。しかし奈良時代以降になると...