教師が「聖職」と言われる根拠として、まず戦前の天皇と教育勅語との関連である。大日本帝国憲法第3条で「神聖」であると規定された天皇が、記した教育勅語は「聖諭」であり、それに基づいた教育の遂行を任務とする教職もまた「聖職」であるということになる。また、教育勅語の具体的内実が十二の徳を有する人作りであり、この趣旨に基づき、児童に教育を行うのが教員の使命であった。このような徳を修めることは児童だけでなく、教員にも課せられた。つまり教員は、児童を有徳な人物に教育すると同時に、教員自身も有徳な人間を目指す必要があったのである。教育勅語以前に頒布された「小学校教員心得」には、児童に道徳を教え、有徳な人間へと教育するのであれば、教員自身が常にその規範となるべきであるとしている。こうした教員自身が徳を追い求める態度は、新渡戸稲造の著書『武士道』において、精神的価値、自制心など、その高貴さ故に「聖職的な色彩を帯びる」と表現されている。このように、「教師聖職論」は神聖な天皇が出した聖諭遂行という観点だけではなく、教育の目的が徳を有する人作りである以上、教員自身もその規範となるような人格者(聖職者)を目指さな...