「漢文」とはどのような文体か、その定義を具体的に述べよ。 私たちがイメージする漢文とは中学校や高等学校で習ったような、漢字が並び、句読点や返り点などがついたものが一般的であろう。もしくは原漢文といわれる、句読点や返り点が一切ついていないものを漢文だという人もいる。もともと返り点や「、」や「。」などの句読点は、中国から入ってくる資料や書物に日本人が読みやすくするために施したものである。 では日本人によって手を加えられたような文章は漢文と呼べるものなのか。また、日本人が中国の皇帝に宛てて書いた文章はどうなのか。漢文と呼ばれる定義とは何なのか。その定義について考察いていく。 漢文とは中国の古典であり、現代の中国や台湾の学校では必修科目となっている。その理由は当時の中国の言葉は文語と口語に分類されていた。それは文学作品や資料を読む際に専門的な知識や読み方が必要になるからである。中国の言語は文章語の文言と、口話の白語に分かられる。現代の中国では会話はもとより、文章にも白語が用いられている。 そして中国文学の特色は、時間的なスケールの長さである。紀元前一一〇〇年前後まで遡る。「書経」や「詩経」など古いものは三〇〇〇年以上前のものもある。そして三〇〇〇年の長期にわたって一つの文学の流れが持続してきたのである。その保持されてきたのは、中国人の九十%以上占める漢民族の言語である「漢語」の特質と大きく関連している。 漢語には多くの方言があり、一つの音節が一つの概念を表わす単語節語で、語と語の上下関係によって文の意味が決まる。さらに一つ一つの語が形・音・義を同時に表象する漢字によって記されていることから方言が共通していることがわかる。広い領土をもつ中国が、多様な方言を一つの漢語として統一されていたのは漢字の存在が大きい。中国の国土は広く、ことばに「音」は地域差があることがわかる。このような広大な国では、人間の国から発せられることばの「音」は、漢語の範囲だけにしても多様性がある。漢語の方言間の距離を示すものとして、例えば北方の北京語と南方の広東語の二つは異なる方言であり、互いの意思疎通も困難である。しかし、漢字を用いて表記をすれば、言葉の差異を超え内容を伝えることができた。このように漢字の存在は大きいのである。そしてその漢字は長い月日をかけて漢民族によって作られたのである。 漢文の文体とは日本で「漢文」と呼ばれている伝統的なスタイルで書かれた最古のものは紀元前のことである。その頃に活躍した思想家たちが自説を述べるために著したのが「諸子百家」であった。ここで書かれている漢文以前にも漢文の文体は存在していた。それが甲骨文字や青銅器に記録された金印である。 そしてそれが後世の知識人が文章を書くのに規範とされた時代が前漢の武帝の時であった。、国家の学問と定めた。そして各地の成績優秀な若者を長安にあった国立学校に呼び、儒家の経典を教える博士官が教えていたのである。そして成績優秀者には武帝の側近としていた。その後各地の若者が学校に入ろうと競って儒家を学ぶようになった。そしてこの制度はその後、約二〇〇〇年間続いたのである。 日本文学の主な特性は言霊信仰から始まった。上代では、言葉には神秘的な力があり、良い言葉や美しい言葉は『幸』をもたらし、悪い言葉は『禍』をもたらすと信じられていた。祭事では言霊信仰を意識した言葉や表現の工夫などがみられる。身近に起こったさまざまな出来事が神に関連付けられて語られた。このような背景から口承文学が生まれたとされている。やがて五世紀ごろに中国から漢字の伝来により、漢字の音訓を使った万葉仮名が考えだされた。流動的な表現は固定されていく。これにより口承文学にとって代わる、記載文学が生まれた。上代の作品として、『古事記』と『万葉集』と『日本書紀』がある。 『日本書記』は漢籍系の文体を基調とした本格的な漢文であり、中国や朝鮮の人に読んでもらうことを意識して編纂されている「純正漢文」であり、『法華義疏』も純正漢文で、仏典系の文体を基調としている。「純正漢文」とは、中国古典の文章の用字・用語・文法を正しく準拠するもののことである。 また『日本霊異記』は純正漢文を目指しつつも、中国古典の文章に存在しない用字・用語・文法を含むものを「和科漢文」と呼ばれている。 『古事記』は日本語の文章を表記したものであり文体上、純正漢文とは異なる独自の特徴を有するのが「変体漢文」である。 変体漢文と和化漢文はどちらも日本の漢文の文体である。和化漢文は純正漢文を作成しようと試みられたが、日本語の影響を免れなかった痕跡のある文体のことである。 このように漢文の文体には、古典語として規範を正しく守る「純正漢文」と、口語や現地語の影響を受けている「変体漢文」が生れて日本漢文が誕生した。 日本漢文と呼べるものは、日本で書かれた漢文及び、国外で日本人が書いた漢文のみに限られている。 平安時代に漢文を読むのに用いられたのは「ヲ・コ・ト点」であった。そしてヲコト点と片仮名を併用して、原文の意味を理解できたのだが、これだけでは原文の解釈は十分ではなかった。 中世の時代も漢詩・漢文であり、「住来物」や土地の売買に関する証文は独特の変体漢文が使われ、語彙・語法など日本的になっている。こうした記録体や漢文訓読を背景に『方丈記』や『平家物語』のような和漢混淆文体も生れた。このように近代まで漢詩・漢文の時代が続いた。 そもそも日本人が漢文を読むのに、原文をそのまま読むことは出来ない。そこで用いられたのが、ヲコト点であったがそれではまだ不十分であり、そこで考え出されたのが「訓読」である。 訓読とは、漢文を原文のまま日本の文語文に読み替える方法である。しかし漢文と国文では語法に著しい違いがある。漢文は独立性のある詞だけを一定の語序にしたがって表わされた。漢語には国語の用言のような活用がなかったのである。また英語のように語形の変化もなく、漢語は同じ形で名詞にも動詞にも形容詞にも用いられた。このように漢文と国文の構造上に大きな相違があったため訓読が用いられた。訓読は漢文という外国語を原型のまま、そこに返り点などの符号及び助詞・助動詞などを付け加え、日本の文語として読み替えることが出来た。 現在の日本では国語の教科では中学校から古文に触れ、高等学校になると漢文に触れている。では学習指導要領ではどのように定義されているのか。 「中学校」 歴史的背景に注意して古典を読み、その世界を親しみ、長く親しまれている言葉や古典の一節の引用などを使う。 古典に関する教材については、古典の原文に加え、古典の現代語訳、古典について解説した文章を取り上げる。 「高等学校」 古典の世界に親しむために、作品や文章の歴史的・文化的背景などを理解すること。古典を読むために必要な文語のきまりや、訓読のきまり、古典特有の表現などについて理解すること。 時間の経過や地域の文化的特徴などによる文字や言葉の変化について理解を深め、古典の言葉と現代の言葉とのつながりについて理解する。 言文一致体や和漢混交文など歴史的な文体の変化について理解を深める。 このように中学校から古文に触れる事が定義されていることがわかる。現在、古典離れしている生徒が増加している事から学習活動の内容も求められている。 参考文献 漢文の素養 誰が日本文化をつくったのか? 加藤 徹 光文社新書 国文学を学ぶ人のために 興膳 宏 編 近くて遠い中国語 日本人のカンちがい 阿辻 哲次 著 中公新書 古文と漢文 日中比較文学史 神田 秀夫 著 武蔵野書院刊 岩波講座日本語一〇 文体 岩波書店
漢文学第1設題
「漢文」とはどのような文体か、その定義を具体的に述べよ。
私たちがイメージする漢文とは中学校や高等学校で習ったような、漢字が並び、句読点や返り点な
どがついたものが一般的であろう。もしくは原漢文といわれる、句読点や返り点が一切ついていな
いものを漢文だという人もいる。もともと返り点や「、」や「。」などの句読点は、中国から入っ
てくる資料や書物に日本人が読みやすくするために施したものである。
では日本人によって手を加えられたような文章は漢文と呼べるものなのか。また、日本人が中国の
皇帝に宛てて書いた文章はどうなのか。漢文と呼ばれる定義とは何なのか。その定義について考察
いていく。
漢文とは中国の古典であり、現代の中国や台湾の学校では必修科目となっている。その理由は当
時の中国の言葉は文語と口語に分類されていた。それは文学作品や資料を読む際に専門的な知識や
読み方が必要になるからである。中国の言語は文章語の文言と、口話の白語に分かられる。現代の
中国では会話はもとより、文章にも白語が用いられている。
そして中国文学の特色は、時間的なスケールの長さである。紀元前一一〇〇年...