連関資料 :: 風刺

資料:3件

  • アラーの風刺画について
  • 現在の国際社会には欧米社会とイスラム社会の対立や軋轢といった問題は実にさまざまに存在していて、残念ながら例を挙げるのに事欠かないほどである。そのなかでも今回はアラーの風刺画問題について考えてみたい。この問題の特徴として考えられる事柄としては、これがイスラム社会とヨーロッパ全体の対立になったことである。事の発端はデンマークの新聞社がアラーの風刺画を掲載したことであるが、その後イスラム社会の抗議が本格化してくると、デンマーク以外にもフランスやノルウェーなど他のヨーロッパ諸国のマスコミもアラーの風刺画を転載し始めた。
  • レポート 国際関係学 アラー 国際 社会
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  • 風刺画・挿絵と文学
  • 風刺画・挿絵と文学 挿絵が生まれ、広く描かれるようになる背景には、どのような社会状況があったのだろうか。挿絵は19世紀に本格的に描かれるようになるが、それ以前は風刺画(サティカル・プリント)の時代であった。 1. 風刺画の流行 風刺画が生まれたのは17世紀のイタリアである。アニバレ・カラッチという画家が本来の画家の仕事のあいまに風刺画を描いたのが始まりで、カリカチューラ(英語のカリカチュア)という名称はかれの名にちなんだものである。(―清水一嘉 『挿絵画家の時代-ヴィクトリア朝の出版文化』 東京、2001年p.42) そして18世紀の後半にイギリスで風刺画が流行した背景には、政治的不安定や産業革命による産業の発展や、科学の進歩などがあった。当時の大都市の悲惨な様子をよく表しているといわれるのが、次の作品である。 London I wander thro’ each charter’d street, Near where the charter’d Thames does flow, And mark in every face I meet Marks of weakness, marks of woe. In every cry of every Man, In every Infant's cry of fear, In every voice, in every ban, The mind-forg'd manacles I hear. How the Chimney-sweeper's cry Every blackning Church appalls, And the hapless Soldier's sigh Runs in blood down Palace walls. But most thro' midnight streets I hear How the youthful Harlot's curse Blasts the new-born Infant's tear, And blights with plagues the Marriage hearse. Blake, William Songs of Innocence, 1794 William Blakeは自ら詩を書き、自らその版画をつくり、手彩色をしていた作家なので、これは挿絵とも風刺画とも言えないかもしれない。しかし当時のロンドンでは煙突掃除を子供が健康を害して苦しんでいたり、または売春婦がいるような、劣悪な状況であることが詩においてよく表現されている。また、装飾の絵画においては少年が神と思われる老人(この作品の一つ前の45番において神として登場した老人と似ている)を閉まったドアへ導いているが、閉まったドアは暗い印象を与えている。 風刺は厳格な階級制度と高度に安定した社会とは相容れない。(清水、p.44)このような社会状況において風刺が流行したのは必然的と言えるだろう。風刺画は政治、科学万能主義、当時の風俗など、さまざまなものを対象とした。後に挿絵画家として知られるようになるGeorge Cruikshankも、当初は政治的風刺画を多く描いていた。 Cruikshank, George The Head Ache, 1819  風刺画は風景画などとは違い、実際に見えるものを表現することではない。伝えたいことがあり、それを絵で表現するものである。それを見るものに理解させるために、風刺画においては大げさな描写やアレゴリーを含むモチーフが取り入れられていた。
  • レポート 海外文学 挿絵 風刺画 クルックシャンク
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  • 風刺画でみる時代の世相風俗
  • 多くの言葉を費やさずとも、1枚の漫画が時代の世相や風俗を的確に言い当てていることがある。近世の日本において木版画で少部数の発行がなされていた漫画は、近代に入って起こった印刷技術の革新により、大量生産が可能になり、全国で同時期に大衆の目に入るようになった。つまり、漫画というものは、一般大衆に向けて描かれたものであり、「笑い」という大衆の共感を得て、大衆を納得させる役割を持っている。従って、その時代に顕著に現れた時代の感情のようなものを絵にしている面が強く、人々に与える影響も格段に大きい。  ........ そのほかにも、彼は足尾高山鉱毒事件へも関心を持っていた。一般的にも有名な足尾高山鉱毒事件とは、栃木県の足尾高山で廃棄する硫酸銅などの毒物が、渡良瀬川の上流の谷に廃棄され、下流地帯に大きな公害をもたらした事件である。それだけならまだしも、銅山の燃料や杭にするために山林をやたらに伐採したため、明治23年に渡良瀬川は大洪水を起こし、公害を広げたのである。同年の第1回衆議院議員選挙に出馬し当選した田中正造は、ただちに議会に質問書を提出しこの問題を訴えたのだが、最初は政府の誠意ある回答は得られなかった。小林清親は、田中正造が次に質問書を提出した時の様子を、『団団珍聞』の中で迫力ある表現で描いている。 この『団団珍聞』は自由民権運動の高揚とともに発行部数を増やしていき、風刺画・茶説・狂詩・狂句・狂歌・都々逸・川柳などで構成された内容は、先述したように藩閥政治への批判に満ち溢れており、更にその風刺画は多くの人に共感を与え人気を博した。しかし、皇室をも風刺の対象にするような鋭い批判精神があったため、しばしば政府による弾圧を招いた。
  • レポート 史学 風刺画 世相風俗 漫画
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