連関資料 :: 国語

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  • 国語教育における文学教材の意義
  • 国語教育における文学教材の意義 1、国語教育の役割と文学教材  教育というのは、人間をよりよくしていこうとする営みである。悪くしていくのならば、教育をしない方がいいことになるから、これは当然のことでもある。  学校教育というのは、子どもたちに力をつけさせることによって、人間をよくしていこうとすることだ。数学では論理的な思考、理科では科学的な思考、社会科では公民的資質といった力をつける。  国語教育は、言語を扱う科目である。だから、国語教育においては、学習指導要領にもあるように、「伝え合う力」というものを育むことが重要だ。  伝え合う力をつけるためには、文字の読み書きや、筋道の立った説明の仕方など、技術的なことは当然必要である。しかし、それだけでは伝え合うことはできない。自分の気持ちを相手に伝え、相手の気持ちを理解するために、不可欠なものがある。それは、自分の気持ちを伝えたいと思う気持ちと、相手を理解したいと思う気持ちである。それがなければ、どれだけ文字や表現を習得しても、何も伝え合うことなどできない。  だから、他人と伝え合いたいという気持ちを持てるようにすることが、国語教育の重要な役割である。そのために、大きく役に立つのが文学教材であると、私は考える。 2、文学教材の読解  文学作品を読解するということは、自分とは違った視点から物事を見るということである。とくに小説は、視点人物の心理描写が丁寧に行なわれるので、違った視点から物事を見るという点において、適する教材である。  違った視点から物事を見るということは、他人を理解することを助ける。物事を一つの視点からしか見られないと、善か悪か、正しいか間違っているか、という判断を簡単に下してしまう。しかもその判断は、偏ったものの見方によって行なわれる。  しかし、問題点がひとつある。それは、教科書で扱われている作品に偏りがあることである。教科書には、愛とか性とか死といったようなタブーがある。これらはどれも子どもにとって重要な位置を占めているものであり、これらを扱わないと、肝心の部分が抜け落ちてしまうことになる。  愛とか性とか死といったテーマは、教科書ではタブーとされているが、マンガやゲームなど子どもたちが頻繁に接するメディアでは、あふれるほど扱われている。しかし、子どもたちがそれらに、一方的な視点だけでさらされることがあり得る。  例えば、マンガ雑誌というのは、その雑誌の対象読者層に人気の出そうなマンガばかりを集めて作られている。だから少年マンガ誌は、少年たちがチームを結成して戦う話ばかりが載っていたり、少女マンガ誌は、男女の恋愛の話ばかりが載っていたりする。そうすると、戦いというものについて、恋愛というものについて、複数の作品から同じような視点を与えられることになる。だから、戦いや恋愛とはこういうものだ、という考え方にとらわれてしまう可能性がある。  よって、このようなタブーとされる事柄にも、国語教育は目を向ける必要がある。では具体的にどうすればいいか。  私は、教科書以外の作品を、授業の中に取り入れるという方法を提案する。このときに、文学作品と呼ばれるものだけでなく、ライトノベルやマンガ、場合によってはテレビゲームや音楽を取り入れるのもいいだろう。そういうものは、教科書のタブーを多く取り扱っているからである。  授業への取り入れ方としては、教科書に関連させて取り入れるという方法を考えた。そうすることで、ひとつの物事に対して、いろいろな見方ができるということを学べる。また、ばらばらに何の関係もなくサ
  • レポート 教育学 教育 国語 小学校 文学 教材
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  • 国語科概論 第2設題
  • 「賢治童話の主題構造展開について述べよ。」  主題をどのように把握するかは、国語科教育での授業で大きく問われる点である。  宮沢賢治童話の主題構造展開としては、学校教育での文学的作品学習の場合は、作品の裏に潜む作者の考えを探しながら読むのではなく、作品でもあるテキストと読み手である子どもとの間に緊張関係を作りつつも、読み手である子どもがテキストから意味を与えられつつ、意味を与える読みをすることが必要となるため、文学教育を実践としてきた宮沢賢治にとっては、自分のすでにある概念を破りつつ、新しい自己作りに関わるようなテキストとの対話を大切にしなければならないと考えている事が前提にある。  またそれ
  • 国語科概論 第2設題 佛教大学 通信教育
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  • 国語科概論 第1設題
  • 「工藤直子の「蟻」を子どもに鑑賞させる意味、そして、子どもの反応について述べよ。」   工藤直子の「蟻」を鑑賞させるにあたり、人間の誰もが蟻よりは大きく、人間から見れば、蟻は小さい存在であるという点が重要であると考えられる。 人間から見れば、小さな存在の蟻でも、ひまわりに対して、好奇心がある。 そして、その好奇心のために、生きていくためには重要な仕事を放棄してまで、ひまわりとは、どのようなものであるか、どうして存在するのか等の探究心が発生し、自分よりも遥かに大ききな、ひまわりを見に行こうと行動するといものである。 生きていくために非常に大切な仕事を放棄してまで、ひまわりを見に行くことから、人間
  • 国語科概論 第1設題 佛教大学 通信教育
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