連関資料 :: 研究

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  • 石橋湛山の研究
  • 石橋湛山の研究  私は「ジャーナリズム理論と実践」の授業をうけて、林先生が過去のジャーナリストとして石橋湛山をたびたび紹介していたのが印象にのこり、湛山についてもっと深くまで知りたいと思い、長い夏休みを利用して、彼に関する本を幾つか読んでみることにした。漠然と将来新聞社にでも就職できたらいいかなぁ、という程度の特に強い願望もない今の私は無知であるから、せめて、これまでの日本における代表的なジャーナリストをかじってみようと思ったのだ。 今までの湛山についてのイメージは、受験における日本史でしか触れたことがなかったので、東洋経済新報の記者時代から「小日本主義」を訴え続け、やがて総理になり、あっさり退陣してしまった、というものでしかなかった。私は浪人時代に「気の毒な人」「あまり重要人物でない」とおもっていた。 ところが、彼に関する本を読むうちに、彼の当時の考えや、警鐘が、甚だ冷静で、客観的で、合理的であると感じ、一種の畏敬の念さえ覚えた。そこで私が心に残った幾つかの湛山の論文の一部などを具体的に引用しつつみていきたい。 まずは、戦後、日本が民主主義を目指して邁進していくために湛山がいわゆる戦争犯罪人を淘汰していこう、という考えの基、近衛文麿を戦争責任の追及、糾弾する文章をみてみよう。『東洋経済新報』1945年10月27日号の「近衛文麿公に問う」と、11月10日号の「重ねて近衛公に問う」である。 【閣下が先に東久邇宮殿下の内閣に国務大臣の席を占められた経緯は素より一般国民の知るところではない。併し恐らく其の一人として怪訝の念をいだかなかった者はないであろう。然るに今般閣に参与せられる為めなるべしと伝えている。果たして然るか。然らば記者は僭越ながら一般民衆の感情を代表し、切に閣下の反省を乞わねばならない。 閣下の名が所謂戦争責任者又は犯罪者中に加えられているか何うかは記者の勿論知らざるところである。記者は閣下の同胞の一人として何卒其の然らざるを祈ってやまざる者である。 併し連合国が閣下を戦争責任者或は犯罪者とみるか否かに拘わらず閣下は今次の戦争に就いて、少なくも日本国民に対し、至大の責任を感ぜられないであろうか】 連合国が戦犯と見るかどうかではなく、自分自身で国民に至大の責任を感じないかどうかを湛山は近衛に問いかける。そして 【如何にも米英を加えて之を敵とした大東亜戦争は東条内閣に依って始められた。閣下は其の東条内閣の前の首相として、米英との開戦を回避するため大に力を尽くされたと伝えられる。従って歴史を若しこの時期以後に限定すれば、閣下はただに戦争責任者でないのみでなく、却って熱心な戦争反対者であったといえるかもしれない。併し、歴史は言うまでも無く左様に都合のいい所で断ち切ることはできない。大東亜戦争が何うして始められたかを検討する者は、少なくも昭和12年まで遡って、其の発端を支那事変の勃発に求めざるを得ず、更に下っては昭和15年の日独伊三国同盟締結こそ、大東亜戦争必至の運命を定めたものとなさざるを得ないであろう。 素より支那事変の前に、既に昭和6年には満州事変があり、前者はいわば後者の引き続きであった。昭和12年7月盧溝橋に遺憾なる銃声を聞くに至ったのは決して閣下の責任ではない。之は国民の遍く信ずるところである。併し閣下は支那事変を処置するに当たり、爾後国民政府を対手にせずとの有名な声明を発し、所謂東亜新秩序の建設を提言し、又軍を支那奥地に進めることを許し、遂に日支の国交を匡救すべからざる紛乱に陥れた。遠因は仮令満州事変にあったとするも、事態を更に重大化
  • レポート 政治学 石橋湛山 常任理事国 近衛文麿 戦争責任 良妻賢母
  • 550 販売中 2007/01/16
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  • ビジネス事例研究
  • ビジネス事例研究講義を受けて何を学んだのか。 [序論]  1年間、前・後期の12回に渡って行われた従来の授業とは全然違う趣であるビジネス事例研究講義は私にとって最も充実した授業であった。新学期が始まった頃、履修科目を決める時に先生からの簡単な講義内容の説明を受けた。ゼミの担当先生である百田先生の授業であったので何気なくこの授業を選択したものである。また、1年生時は必修科目が多かったので自由に選択できなかった。ところが、何か変わった感じで面白そうだったので履修届けを出した。普通の授業の仕方とは全く違う形で先生の代わりにゲストスピィーカというか様々な分野で活躍している12人のプロの声を近いところで聞く機会が与えられた。毎週の90分の授業がいつも短く感じられるくらい非常に興味深い実践的な授業であった。12回の講義を振りかえって、私にとって最も記憶に残って、得た宝物のいくつかを要約してみた。 [本論] まず、関西テレビプロデューサーである吉條英希氏の講義では 全体的にハキハキしている雰囲気であって、放送局の裏話とかテレビプログラムの作成の際の色んな出来事や仕事の詳しい仕方などについて分かりやすく説明してもらった。彼の関西弁の日本語のせいで少し聞き取れなかった部分が若干あったが、東京の生活ではなかなか触れられない関西弁を聞いて風変わりな経験で良かったと思う。彼の話の中で常に「アイディアを浮かべで出す」こと。言い換えれば単に良いアイディア又は奇抜なアイディアではなく、自分らしさを発揮しながらそれをいかに実際に生かすかがポイントである。このために一番重要なことは人とのコミュニケーションである。自分だけのアイディアの世界の中だけではなく、常にオープンマインドの姿勢で相手の話を受け入れる態勢を持たなければならないことである。言葉としては誰でも言えるが、行動で移すことはなかなか難しいことである。言行一致をするために頑張ろうと思う。 それから第2回目であった、株式会社アイアールギャラクシーインク代表取締役である七海秀之氏の講義では 前回の授業とは正反対にやや固い雰囲気であった。企業のリーダーの立場として仕事に対する志及び仕事そのものについて体系的にわかりやすく説明してもらった。個人的にはこの講義は他の授業と比べ最も興味深いものであった。 根本的な視点からの仕事に対する志。いわゆる「何のために働いて何をしたいか」が重要である。ここで彼の言葉を借りると三つの要素として「モチベーション・タイミング・バランス」がある。一体何をしたいかを考える際に決断する時、自分に与えられた様々なモチベーションが何よりも一番大きい要因である。人によってその同機は違うが、モチベーションの種類とくっ付いて考えるべき要素がタイミングである。モチベーションのほうはそれが何かについて探る努力を重ねれば見つかりやすいかもしれないが、タイミングのほうはいつが適切な時期であるのかについて明確に知ることは誰にあってもなかなか解けない命題であるだろう。普段、タイミングは幸運と不運で分けて考える傾向があるぐらい良いタイミングは分かり難いことである。偶々機会があったから或いはちょうど何かの出来事があったからなど様々な出来事の流れによって、時間が随分過ぎてからやっと気がつくことがある。ある日、ゼミの時間で先生によるとタイミングは自分の能力であると仰ったことがあるが、それについてはまだ疑問のままである。なぜなら区切りをどこからどこまで置けばいいか今の時点で理解することは無理があると思うからである。それからバランスのこと。
  • レポート 経営学 CSR 企業統治 リーダー
  • 550 販売中 2007/01/17
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  • 歴史研究初歩
  • 歴史研究初歩:太平洋戦争中の機動部隊の戦果  本レポートでは、太平洋戦争中の日本海軍機動部隊の戦果と損害、意義について報告する。戦果より考察できることは、初期においては、米海軍部隊への損害は多分に多いのに比して日本海軍機動部隊の損耗率は低く、後期においては、米海軍部隊への損害は極端に減少する一方、日本海軍機動部隊の損耗率が格段に上がっていることである。日本海軍機動部隊の損耗と米海軍部隊の損害は表裏一体の関係にあると言えるだろう。これらに関して考えられる原因として、ベテラン搭乗員の戦死により搭乗員の技量低下、戦術の拙劣、VT信管等兵器技術の向上等が上げられるだろう。搭乗員の教育体制、戦術への態度、兵器開発についての今後の課題であろう。 真珠湾奇襲 参加空母 赤城・加賀・飛龍・蒼龍・翔鶴・瑞鶴 参加機数 約500機(実際の出撃は350機) 戦果 戦艦4隻を含む6隻撃沈、戦艦4隻を含む36隻損傷 航空機398機中231機を破壊 損害 飛行機29機未帰還、乗員戦死54人、機上戦死1人 意義 アメリカ太平洋艦隊に大打撃を与え、戦争の初期作戦(各植民地への上陸作戦)を容易にした。 インド
  • レポート 史学 歴史学入門 太平洋戦争 戦史
  • 550 販売中 2007/02/01
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  • 道徳教育の研究
  • 『「生きる力」の育成と道徳教育について述べよ。』  第15期中央教育審議会第一次答申は、「生きる力」の育成という新しい教育の目的を提示した。「生きる力」とは、「自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する能力」、「自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性」、「たくましく生きるための健康や体力」の三つの能力からなる「全人的な力」であり、「人間としての実践的な力」、「生きていくための『知恵』」とも言うべきものである。2002年4月から小・中学校で新学習指導要領が全面実施され、2003年4月から高等学校では学年進行により実施されている。この新学習指導要領においては、①豊かな人間性や社会性、国際社会に生きる日本人としての自覚を育成すること。②自ら学び、自ら考える力を育成すること。③ゆとりのある教育活動を展開する中で、基礎・基本の確実な定着を図り、個性を生かす教育を充実すること。④各学校が創意工夫を生かし特色ある教育、特色ある学校作りを勧めること。が目指され、具体的には、「ゆとり」の中で自ら学び、自ら考える力など
  • 佛教大学 レポート リポート 道徳教育 道徳教育の研究
  • 550 販売中 2009/10/16
  • 閲覧(1,151)
  • 教育相談の研究
  • カウンセリングのもともとの概念は、人が日常生活を営む上で生じる悩みに対して相談や指導をするということであった。しかし、近代に入り社会の構造が複雑化するにしたがい、人々の悩みも多岐にわたり、その相談内容も多様化している。そのため、これまで単なる素質や経験だけで対応できていた問題から一定の知識や技術が要求されるような問題が増え、今日一般に使われるカウンセリングという概念ができあがり発展してきた。 カウンセリングとは、心的構造における、イド(快楽を求める心)・自我(自分の行動を決定する心)・超自我(理想の心を求める心)のアンバランスを修正することである。
  • 教育 相談 研究 佛大 佛教 レポート
  • 550 販売中 2009/10/28
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  • 道徳教育の研究
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  • 日大 日本大学 通信教育部 教職 教職課程 教育学
  • 880 販売中 2011/03/18
  • 閲覧(1,051)
  • 道徳教育の研究
  • 「生きる力」の育成と道徳教育について述べよ。 現代の「道徳教育」は我が国日本では江戸時代の儒教道徳が始まりであると考えられている。「藩校」や「寺子屋」などで封建社会の基盤となる「義・忠・孝・恩」などが教えられていた。この時代は、人の道は儒学によって習得し、物質的・技術的問題は洋学によって習得しようという「東洋道徳・西洋芸術」の考え方が中心であり、江戸時代に成立したこの考え方は明治時代以降にも継承されていったのである。  明治5年の「学制」では「修身科」という名称で道徳が一つの教科として開設された。しかし、ここでの教育は日常の礼儀や作法に限られ、修身科の目標も漠然としたもので不明瞭な点も多かった。 この学制の各教科の中での修身科は比較的軽率な扱いであった。強化され始めたのは明治12年の「教学大旨」が示された時である。大正新教育運動の時期には、明治期の徳目主義的な修身科に対する批判が起こり、新しい道徳教育の実践が出現した。例えるなら、子どもの日常生活を題材にし、自由に話し合いの時間を設ける、学級会や班活動の方法を工夫するなどである。沢柳政太郎が設立した成城小学校での「生活修身」はその代表例
  • 日本 道徳 子ども 学校 社会 教育学 哲学 生きる力 思想
  • 550 販売中 2009/02/03
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  • 道徳教育の研究
  • 『「生きる力」の育成と道徳教育について述べよ』  1996年7月に第15期中央教育審議会第一答申「21世紀を展望した我が国の教育のあり方」が出されて以来、今日の教育目的となった「生きる力」についてまず考察し、その後「生きる力」の核となる豊かな人間性を育む道徳教育のあり方について考察していく。 この答申は時代を超えて変わらない価値あるものを大切にするとともに、社会の変化に的確かつ迅速に対応する教育を実現するために、「生きる力」の育成という新しい教育の目的を提示した。「生きる力」とは、
  • 道徳 佛大 佛教大学 教育 道徳教育の研究 レポート
  • 550 販売中 2009/03/09
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