連関資料 :: 文化

資料:489件

  • 文化共生に向けて
  • 私が受講していた講義の1つに、さまざまな分野や立場において活躍されている方々の実体験を交えたお話を聞くことが出来るものがあった。どれも新鮮でためになるものばかりだったのだが、今回はその中でも特に印象に残ったアイヌの方の話を取りあげようと思う。  講演に来ていただいた方はその講義の中で、ご自身がアイヌであることやそのために周囲からいじめを受けた経験があるということ、それでもアイヌの文化が好きで誇りを持っていることなどについてお話されていた。アイヌに伝わる歌もいくつか紹介していただいたのだが、アイヌの文化を私たち学生に伝えることが本当に嬉しいという感じでとても印象的だった。講演を聞いて異なる文化を理解し尊重することの重要性ということについて深く考えさせられたので、このテーマについて論じることにする。 私はこれまで自分の文化について特別誇りを持っているわけではなかったし、そもそも知識すらほとんど持っていなかった。私は国際理解教育を専攻しており、さまざまな文化やそのもとで生きる人々について学びたいと思っていたのだが、自分の文化についてすらなにも知らないでいたということを実感することになりとてもショックを受けた。同時に、異文化理解において重要なことは何かということについて改めて考えさせられた。
  • レポート 国際関係学 文化 共生 アイヌ
  • 550 販売中 2006/04/26
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  • 社会文化的アプローチ
  • まず、私は高校での学びの目標は理解してもしていなくても、とにかく覚えて慣れることであったと考える。これは大学入試のための学びであり、大学入試の中でも特にセンター試験は理解しなくてもとにかく覚えて、慣れることによって点数が伸びるものであった。一方社会文化的アプローチでは、学習観は文化的道具による媒介、他者性、対話を通したアプロプリエーションであり、また動的な概念(一致、抵抗、摩擦)によるものだった。つまり、学習の結果に重点を置くか学習する過程に重点を置くかの違いや、個人を集団で見るか一個人としてみるかの違いであると思う。
  • レポート 教育学 高校 教育 社会文化 学習 社会文化的 社会文化的アプローチ 学習過程
  • 550 販売中 2006/06/22
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  • 朝鮮と日本の文化の比較
  • 私はこの講義の感想文で、よく日本の文化と朝鮮の文化を比較・対照する。それは日本の文化は、大和政権のときに朝鮮半島から渡ってきた渡来人によってもたらせられたものであるという知識があり、二つの文化には同じ点が見られるのではないかという考えがあるからである。しかし実際のところ似た点も確かに見つかるのだが、相違点の方が多く見つかっている。これから、朝鮮と日本の文化の違いを講義で取り上げた中から私が興味を持ったものでレポートしていく。 ①天文台と占星台 まず、「慶州の瞻星台(チョムソンデ)」と日本最古の天文台の「占星台」を比較する。瞻星台は現存する世界最古の天文台であり、647年に建立される(建立時代には諸説ある)高さは9.1メートルの石造建築物であり、新羅時代の天体観測の中心であったことは言うまでもない。また私はこの建造物が占星に使われていたとも推測する。なぜならこのころ陰陽五行説が朝鮮に伝わっており、天の運行を見て、地の作物等の生産計画を立てていたのと、王が天命を伺うための手段であり、その占儀は一大国家行事であった。天体そのものを見るのではなく、むしろ占うために天を見ていたと思われる。また675年には日本で占星台が建てられる。このころの日本は遣唐使が盛んに往来しており、天文台や陰陽五行が伝わった。占星台は天武天皇が建て、そこで占ったことが記録に残っている。これが朝鮮と日本の同じ点である。だがやはり違った点もある。それは何で作られているかだ。瞻星台は石で作られていて、占星台は予測の範囲内だが多分木造であったと思う。もちろん日本にはそれ以前から石で作られた物はあった。例えば蘇我馬子が眠る石舞台古墳や、寺社に奉納された小さな石塔などだ。しかしどちらも瞻星台のような本格的な加工ではなく、ただ石を運んだだけや、少し削って加工する程度である。天文台の技術が伝わったなら石でそれを作ってもよかったのでは無いか?不可能だった理由は二点挙げられる。一つめはただ単に日本の技術が遅れていたのだと思う。このころは中国・朝鮮から伝わる技術にほとんど頼っていた。石工の技術も入ってきただろうが、まだ加工しやすい木で作ったのと考えられる。二つめとして日本には木材資源がたくさんあったので、数少ない石よりも木を使ったのだと思う。また調べてみたら、日本最古の石造建築物は安土桃山時代に作られた大宮橋ということが判明した。やはり占星台は木造であろう。 ②仏国寺と石窟庵、法隆寺と奈良の大仏 同じことが仏国寺にもいえる。仏国寺とはまさしく石を前面に出した作りである寺であり、まさしく石の芸術と言っても過言ではない。境内は石の階段や石塔で目につく。また石窟庵とは、仏国寺の近くにある釈迦如来像が安置されている場所で、世界文化遺産にも登録されている。また石窟庵の本尊の如来像も、白御影石をそのまま掘って作り上げるという手法は日本では滅多に見られない。それに加え、そのまわりにある仏像も既存の花崗岩を掘って作ってあるという。このころの朝鮮は石工の技術がある程度発展していたのであろう。それに対して当時の日本は、寺というと法隆寺を代表とした木造である。石を使っていると言えば石畳ぐらいか。まさしく豊富な木材資源を有効活用した日本ならではの建築方法である。また、仏像は木造もしくは金属製である。かの有名な奈良の大仏(廬舎那大仏)も型を作って金属を流し込む金剛仏である。これは渡来人がもたらした高い精錬術が織りなすものである。仏国寺と法隆寺、石窟庵と奈良の大仏、石と木の対比ができる。 ここで渡来人の話だが、なぜ精錬術と一緒に石
  • レポート 国際関係学 韓国 朝鮮 日本 仏国寺 李朝活字
  • 550 販売中 2007/11/14
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  • 文化との出会い(ドイツ)
  • Ⅰ.はじめに  私はドイツに関する授業を受け、国旗について調べてみたいと思う。ドイツ国旗は年代によって変化してくるが、一定の傾向がるようにみえる。その国の象徴である国旗から何が読み取れるのかを考察したいと思う。 Ⅱ.国旗について  旗の始まりは定かではないが、一説によると紀元前34世紀の古代エジプトでは“聖なるシンボルの標識”として用いられていたという。現在のような1枚の布を竿に結びつける形式は今から約3000年前の古代中国で始まったものといわれている。  それぞれの国を象徴する国旗だが、国によって大きさはまちまちで、色も色彩標準規格で厳密に定めている国もあれば、漠然とした語で定めている国もある。 Ⅲ.心理的効果から考える解釈  ドイツの国旗は上から「黒」「赤」「黄(金)」の3色からできている。その3色が意味する主な心理的効果は以下の通りになる。 ■黒⇒不安・不気味・死・陰気 ■赤⇒情熱・興奮・危険・暑い ■黄⇒明朗・快活・躍動 Ⅳ.国や民族から考える色の解釈  旗の色の象徴的意味は国や民族によって違ってくる。その他、時代や政治的背景によっても大きく異なる。主な意味は以下の通りになる。
  • レポート ドイツ 国旗 異文化
  • 550 販売中 2007/09/12
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  • 文化共生学校
  • 元少年兵と日本の子どもとの交流風景を見て、日本とは全く違う、日本に居ては全く想像さえもつかないような厳しい状況の中で暮らし、兵士とするために誘拐され、目の前で親を殺されたりして、心に大きな傷を負った子どもたちの姿を見た。そして、その元少年兵たちがパソコンを通して普通の子どもらしい子どもとして笑顔で会話を楽しむ光景、そして自分たちの過去や未来を話し、日本の子どもたちの悩みを聞いている姿を見て、こんな機会をもっと設けることはできないだろうかと考えた。 その他の資料http://www.happycampus.co.jp/docs/983431725001@hc05/
  • レポート 教育学 学校 多文化 多文化共生 少年兵 パソコン 共存 教育
  • 550 販売中 2006/07/01
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  • 医療における文化人類学
  •  医療における文化人類学 ①ナチュラリスティックな民族医療  ナチュラリスティックな民族医療体系とは、病気の原因を非人格化し、体内の要素を平衡的なものとしてモデル化することである。身体の中の非生命的な要素がおのおのにふさわしいバランスにあるとき、健康であるとされる。逆に、そのバランスが崩されたとき、つまり平衡が乱されたときが病気にかかっているということである。 地域やそこに根ざす伝統によって、ナチュラリスティックはいくつかの形を持つ。古代ギリシャではヒポクラテスによって四つの体液という概念がもたらされた。これを体液病理学と呼ぶ。すなわち、人間の身体の中には血液・粘液・黒胆汁・黄胆汁の四種類の体液が存在しており、それぞれ、血液は熱と湿、粘液は冷と湿、黒胆汁は冷と乾、黄胆汁は熱と乾の性質を持っている。それを春夏秋冬の四つの季節に当てはめてバランスを考えたり、その人の性質を定めたりしていたようだ。この考え方はやがてアラブ世界へ、更にスペインを経由してラテンアメリカや東南アジアなどへ広がった。 インドではアユルベーダ医学という伝統的医学が存在する。食物を暖かい性質を持つものと冷たい性質を持つものとに分類し、それによって体内の要素のバランスを量る、というものだ。体内のそれらのバランスが崩れたときには、正しい組み合わせで食物を摂ることによって、もとの正しいバランスに戻すことが出来るとされている。アユルベーダによると、身体中にはドーシャという三つの体液、すなわち粘液・胆汁・風素(あるいは空虚)があり、これらが正しく均衡を保っているときが健康な状態である。また、ギリシャの体液病理学と同じく三つのドーシャもまた季節などに関係する性質を持っているとされる。 中国には漢方という独自の医学がある。これは医食同源、つまり食習慣そのものを医療として取り込むもので、体内において欠乏した要素を体外から食という形で摂取することによって病を治すという考えだ。この、「要素」という概念には古代より中国にあった陰陽思想によるものである。宇宙の全てはこの陰と陽に収束されるため、無数の性質を付与することが出来る。よって病の原因も突き詰めればこの陰と陽のバランスに行き着くわけである。体外の力によって引き起こされるのが陽の、体内の力が元になって起こるのが陰の病気であるが、陰と陽は常に表裏一体であるので、両方の要素の合体産物でないものは存在しない。病気や現象であっても例外は無いのである。 このように、一口にナチュラリスティックな医療体系といっても、伝統や文化によってその形態は様々である。また単一の社会においてナチュラリスティックとパーソナリスティック(病気の原因を生命のある作用体の干渉によるものとする考え方)がともに存在することも珍しくないが、それらは相互に排他的なものではない。多くの社会がナチュラリスティック・パーソナリスティック両方の考えを持つことがわかっている。現代医学の基になった、あるいは現在でも多く使用されているということもあり、近代的医学を併せて考えるにしても、「原始的」という言葉で切り捨てることは難しいのである。 ②精神病 精神病には様々な種類があり、またそれに対する方法も数多くある。『水中毒』という精神病があるが、これは薬物医療を受けている長期入院患者によくみられるものだ。これに陥った患者の体調をコントロールするために、飲水を制限したり保護汁に入れて抑制したりするのだが、ここにはどうしても表向きの意味合いとは別に、患者に対する『罰』的な意図がこめられることになる。また患者側も、『罰
  • レポート 医・薬学 人類学 民族医療 精神病
  • 550 販売中 2006/11/24
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  • アジア文化論(test)
  • ①日本人のアジア観、アジアの日本人観 (a)日本人のアジア観; 日本の国際化は進んでいるが、日本人の外国・外国人に対する歴然とした傾向がある。欧米との交流を重視している。アジアの中では日本が一番。「汚い」「貧しい」「危ない」「遅れている」等、否定的なものが多い。アジア諸国を見下すような印象。アジアの国や人々を援助や指導の対象として考えている。アジアは遅れているという観念を持つ日本の姿勢は、ステレオタイプな観念にとらわれずに現実を見てからにしなくてはならない。 アジアから見た日本陣観 2000年に行われたアジア6カ国(韓国、中国、タイ、マレーシア、インドネシア、インド)対象の世論調査で、「過去の問題」への日本の対応を聞いたところ、タイ、マレーシア、インドネシアでは「過去に捉われない新たな協力関係作り」や「アジアへの貢献」が上位を占めるなど「未来志向」型の答えが多かったのに対して、韓国、中国、インドでは「被害を与えた国に対する心からの謝罪」や「被害者への補償」といった「過去の清算」型の答えがもっとも多かったという(「朝日新聞」10月24日)。 これと関連して、同じく朝日新聞と韓国の東亜日報者が行った日韓共同の世論調査によると、日本の植民地支配を含む「過去の清算」に対して、韓国で94%、日本で70%が「まだ決着していない」と答えたという。(「朝日新聞」10月15日)。我が国は、この「アジアからみたアジアの中の日本」という視点を踏まえつつ国際協力を行っていくことは不可欠である。 ➁多民族・多宗教・異文化の中の平等について 急激な国際化に拒否反応を起こす日本人は多い。日本人の他人と異なることに対する拒否感は異常に大きい。異物は排除しようとする力が無意識に働く国民性がある。これは、障害者差別の背景と同様である。多くのアジア諸国は多民族国家であり、様々な言語・宗教・生活習慣がある。例)街の看板や標識は多言語で書かれている。 異文化・異民族への配慮は違いを認める土壌をつくる。お互いの違いを個性として社会の中でそのまま受けとめる。多様な価値観を知り、それぞれの価値観の違いを受けとめるには、自分とは異文化を持つ人々をいかに理解でき、受け止める事ができるかが重要。 多民族、多宗教、異文化の中の平等 日本においては、絶対的に仏教的な宗教が多くお正月や厄年によるお寺や神社への参拝がほとんどである。しかしだからといって日常の生活は、宗教を重んじた時間配分で過ごせるわけではない。 その点、キリスト教、イスラム教、各部族の神々など多くの宗教を持つアジアでは、断食、祝日などの日にちはそれぞれであり、それぞれの信心を重んじた社会体系を構築している国(マレーシアなど)が多い。宗派によっての職場の休憩時間や休日の配慮などは日本では考えられないことである。しかも日本では、若干の風変わりな宗教がマスコミにより放送されるだけに、宗教への偏見は障害者と同じくらいに大きい。というのにお正月には宗教嫌いな人でさえもお参りに行く文化は日本の異常なところである。それぞれの信じるものへの尊重を持つアジアは、日本とは異なる文化である。 ➂アジア型民間施設運営について 経済力の低いアジア地域において、福祉行政は非常に遅れており、障害者施設は機能的側面からも、設立主体からも様々で、系統だて類別することは困難である。しかしそれは、既存の施設形態にとらわれない、独自な発想の施設を生み出す事も可能とする。アジアには収容型施設がほとんどない。数少ない施設の中で、その多くは民間が運営している。政府の財政力のない国におい
  • 日本人のアジア観 他民族・文化の平等 アジア諸国の福祉と日本 東京福祉大 テスト
  • 550 販売中 2008/03/07
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