連関資料 :: 文化

資料:446件

  • 図書館における多文化サービスについて
  • 1、はじめに  日本における図書館は、国家の歴史的事業を保管するための文書の記録館として捉えられてきた。これは古代中国の考え方をそのまま真似たものであった。しかし戦後、アメリカ式図書館法が導入され、日本でもようやく図書館は〈市民のための施設〉と定義づけられるようになる。今日の公共図書館は「利用者を中心とした動的な知識の集合体で、その存在と発展は母体機構の制約と影響を受ける」ものである。(1)つまり今日の日本の図書館は利用者の知的要求に対し、その要求に応えることで発展してきたのだ。  しかし近年、外国人労働者の増加により、日本でもその母体機構が多様になってきている。それに伴い、図書館では他文化サービスという新しいサービスを受け入れ始めた。そこで、各国の多文化サービスが現在抱えている問題点を通し、日本における多文化サービスのあり方について考えてみる。 2、アメリカ・カナダ・ドイツにおける多文化サービスの問題と対策  「多文化サービスと一口に言っても、その民族的構成や各マイノリティの背景、彼らへの対応は国や時代により、かなり異なるものである」と安部氏が指摘しているように、(2)抱えている問題は各国により様々である。もともと多文化サービスを開始したのは欧米の図書館であった。彼らはどのように問題を打破していったのだろうか。ここでは、アメリカ・カナダ・ドイツの例をみていきたい。 (1)図書館側の問題点 ?予算不足  まず一番大きな問題は、外国語で書かれた図書を買うための十分な資金が確保できないことにある。これは、行政機関が図書館サービスの現状を把握していないことによる。 ?人材不足  近年、外国人労働者や難民を受け入れ始めた欧米諸国の図書館では、慢性的な司書不足に悩まされているが、わが国ほどは人材不足に悩んでいない。
  • レポート 多文化 多言語 図書館 東京都
  • 550 販売中 2005/12/04
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  • ハワイにおける日本人文化の流入
  • ハワイは、アメリカでもっとも日系人が集中して居住している州だ。本土では、アジア系全体でも数%に満たないのに対し、ハワイでは、総人口の約四分の一が日系人なのである。 アメリカ本土では、今でも、アジア系に対して特定の固定観念がある。中国系も日系もみんないっしょくたにして、「アジア人とは、これこれこんなひとだ」というステレオタイプができあがっている。それは、アジア系人口の少なさのため、本土の一般的な白人たちがアジア系と接触する機会がすくないことに由来している。 しかし、ここハワイでは違う。アジア系に対する単純なステレオタイプは後退し、それぞれの民族グループのなかにも、いろいろなタイプがいることがはっきりと見えるのだ。 日系人といっても千差万別である。 ハワイはグローバル化を目指す現代社会のよい見本になる、成功をしている「異種混淆文化」である。 日系人とはなにか。日本人の血が入った外国人である。ではどのようにしてハワイに日系人が増えたのであろうか。それには次のような経緯がある。
  • レポート 国際関係学 異種混淆文化 ステレオタイプ 文化相対主義
  • 550 販売中 2005/07/13
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  • 文字の文化と活版印刷
  • 文字の使用を当たり前と考えているわれわれは、その発明がコミュニケーションの歴史における、言語の獲得に次ぐ第2の技術革命であったという事実を忘れがちである。紀元前3500年頃にはシュメール人が楔形文字を使い始めたと言われるが、一般に文字が普及するようになったのは第3の革命であるグーテンベルクの活版印刷術(1445年頃)以降にすぎない。
  • 宗教 コミュニケーション 社会 文化 メディア 言語 文字 分析 言葉
  • 550 販売中 2013/07/03
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  • 渤海文化の特色
  •  渤海は、高句麗滅亡後に遺民が建てた国で、今から1300年前の698年、今の中国東北部とロシアと北朝鮮にまたがる地域に成立した古代王朝国家である。この国は以後200年余の間、日本と同じように唐から政治、文化、仏教を取り入れ、平和な文化国家として栄え続けた。 日本で言えば、ちょうど奈良時代から平安時代前期に当たる時代である。  外交で言えば、唐に対しても何度となく使者を送り、それに付随して留学生を唐へ送り文化を吸収させ、持ち帰らせた。この事より渤海の上層部は儒教的な教養を元に国政に当たったと思われる。  また、日本海をへだてた隣国である日本に友好を求めて727年から919年までの約200年間に公式の使節だけでも34回も派遣してきた。この派遣は、平均すると5.6年に1回の割合となる。渤海からの遣日使は形式的に日本への朝貢とされていたため日本側は渤海側の使者を大いに歓待をしており、この財政的負担がふくらんだために後期では12年に1回と回数の制限も行われている。日本も、親善使節や渤海使を送って行く送使として15回も使節を派遣して親善を深めた。この交流の歴史はあまり知られていないが、日本古代において長く、濃密に展開された国際交流であった。  渤海が日本との交流を求めた当初の理由は、新羅に対する軍事同盟の形成だった。しかし交流が緊密化するにつれ、その目的は儀礼的・商業的な意味合いが強くなっていった交易中心に変わってゆく。
  • レポート 史学 渤海 日本 韓国の歴史
  • 550 販売中 2005/11/22
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  • 日本とアメリカとの文化の違いについて
  • 日本とアメリカとの文化の違いについて  日本とアメリカとの文化の違いについて、私が今まで考えていたこととはずいぶん異なっていた。また、知らなかった外国の文化だけでなく日本の文化も思ったより知らないということに気がついた。もし、将来外国を旅行したり仕事などで外国人と話をしたりすることがあったとしたら、言語だけではなく外国の文化に適応できず悩むことになるだろう。日本の義務教育ではこの国際化時代に対応する教育が行われていないからではないかとおもう。もっと、異文化を知っていくべきだと考える。コミュニケーション・ギャップは言語の違い、ジェスチャーの違い、宗教の違いなどがあげられる。日本では上下関係がはっきりしている。そんな社会に育った日本人は、目上の人と話すのと目下の人と話すのとでは、言葉使いや態度が違ってくる。それにひきかえアメリカ人は、日本の縦社会とは反対に横のつながりを大切にする横社会である。このような違いを作っている社会的、文化的背景が多くあるようだ。私が特に興味を持ったものを例に上げて違いを考えたい。  一つ目は、アメリカでの車両事故の処理の仕方である。日本人の常識としては、事故を起こ
  • レポート 語学 文化 教育 英語 違い
  • 550 販売中 2007/08/12
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  • 文化共生に向けて
  • 私が受講していた講義の1つに、さまざまな分野や立場において活躍されている方々の実体験を交えたお話を聞くことが出来るものがあった。どれも新鮮でためになるものばかりだったのだが、今回はその中でも特に印象に残ったアイヌの方の話を取りあげようと思う。  講演に来ていただいた方はその講義の中で、ご自身がアイヌであることやそのために周囲からいじめを受けた経験があるということ、それでもアイヌの文化が好きで誇りを持っていることなどについてお話されていた。アイヌに伝わる歌もいくつか紹介していただいたのだが、アイヌの文化を私たち学生に伝えることが本当に嬉しいという感じでとても印象的だった。講演を聞いて異なる文化を理解し尊重することの重要性ということについて深く考えさせられたので、このテーマについて論じることにする。 私はこれまで自分の文化について特別誇りを持っているわけではなかったし、そもそも知識すらほとんど持っていなかった。私は国際理解教育を専攻しており、さまざまな文化やそのもとで生きる人々について学びたいと思っていたのだが、自分の文化についてすらなにも知らないでいたということを実感することになりとてもショックを受けた。同時に、異文化理解において重要なことは何かということについて改めて考えさせられた。
  • レポート 国際関係学 文化 共生 アイヌ
  • 550 販売中 2006/04/26
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  • 西洋文化史1
  • 「産業革命がイギリスの生活文化におよぼした 影響について論述せよ。」  まず、産業革命を概説するにあたって、その影響関係のある、産業革命より最初にイギリスで起きた農業革命について説明していく。 13世紀から開放耕地制であった土地を、領主や地主が牧羊場や農場にするため垣根などで囲い込み、私有地化する、いわば「囲い込み」が進行してきていた。この囲い込みが進むにつれて、土地の改良や農業生産技術の改善・革新も相俟って、18世紀には農業生産の効率性が上がり、生産高は飛躍的に増大していった。これを農業革命と言う。しかしこういった中で、農村部においても、都市部の産業資本主義のような体制が出来つつあった。そして、耕地を失った農民の都市流入や賃労働者化を招いた。それにより、都市部での人口が飛躍的に増加した。 イギリスの産業革命とは、1760年代から1830年代にかけて起こった工場制機械工業の導入による産業の変革と、それに伴う社会構造の変革のことである。 イギリスで産業革命が始まった要因として、原料供給地および市場としての植民地の存在、清教徒革命・名誉革命による社会・経済的な環境整備、蓄積された資本な
  • 環境 歴史 経済 社会 文化 発達 イギリス 都市 科学
  • 550 販売中 2008/12/12
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  • 文化コミュニケーション概論
  • H27〜28年度 日大通信 「異文化コミュニケーション概論」の一発合格レポートです。 教科書の内容を無難にまとめてあります。 汎用性が高く参考にしやすいと思います。 丸写しはご遠慮ください。 レポート作成の参考にしていただければと思います。 Exploring Hidden Culture 日本とアメリカ―深層文化へのアプローチ 単行本 – 2001/7 金星堂 Paul Stapleton (著), 伊藤 章 (編集)
  • 日大 通信 教職 日本大学 英文
  • 550 販売中 2016/10/24
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  • オセアニアの人々の文化とくらし
  •  オセアニアの伝統的な舟(カヌー)は、釘を一本も使わずに木材とココナツロープのみによって造られ、木の葉を巧みに織った帆を備えていた。オセアニアのカヌーには、一つの大きな特徴がある。それは、双胴船と呼ばれる二つの船体をつないで一艘のカヌーとする仕組みである。また船体が一つの場合でも舷外浮材(アウトリガー)と呼ばれるバランサーが付いている。アウトリガーが一つ付いたものはシングルアウトリガーカヌー、船体の両脇に付いたものはダブルアウトリガーカヌーという。耐波性に優れており、また風上に向かっての帆走が可能である。また最大200人近い人数が乗り込むことができ、中には
  • レポート 社会学 オセアニア カヌー 文化 航海 世界観
  • 550 販売中 2006/04/06
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  • アメリカの文化と言語Ⅰ
  • 8章「Martin Luther King,Jr.」について日本語で要約した上で、あなたの考えを述べよ。 1、8章「Martin Luther King,Jr.」の要約 公民権運動指導者マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの生涯は、アメリカ黒人のために平和的手段で社会的・政治的・経済的平等を獲得することであった。しかし公民権運動を推し進めるなか、彼は人種差別主義者によって酷く攻撃され、1968年に暗殺された。 彼が中心となって指導した公民権運動は黒人だけでなく、アメリカ中の人種間平等への意識を高めることに成功した。そして、彼は社会変革に貢献したとされ1964年に史上最年少でノーベル平和賞を受賞した。 彼は、ジョージア州アトランタの牧師である祖父と父の家に生まれ、15歳で高校を卒業し、アトランタのモアハウス大学に入学し学士号を取得した。卒業後ボストン大学の大学 院で博士号を取得した。 大学院に在学中、彼は非暴力運動を指導し、イギリス支配からインドを解放したモハマッド・ガンジーを崇拝し、後に公民権運動の「実践テクニック」をガンジーから、「自分の理想」をキリスト教から得たと語っている。 こ
  • アメリカ キリスト教 社会 法律 差別 平和 運動 平等 大学 キング牧師 東京福祉大学
  • 全体公開 2010/01/25
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