「法政通信」法政大学通信教育 社会思想史第2回1設題

閲覧数424
ダウンロード数2
履歴確認

    • ページ数 : 2ページ
    • 会員660円 | 非会員792円

    資料紹介

    第2回1設題
    「18世紀後半のドイツ社会思想」について論ぜよ。
    丸写しは厳禁です。
    あくまでも参考程度でお願いいたします。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    18世紀後半は、ドイツの啓蒙主義で理性に対する信頼が頂点に達しており、宗教や政治などのあらゆる権威が理性の吟味に付される時代であったのである。
    政治的、経済的、文化的意義を一国の中心をなすケーニベルクのような都市は、国の政府機関があり、1つの大学があり、海外貿易の要衝を占めて、様々の言語や風習をもつ遠方、近隣の国々と交易をするために便利であり、人間知と世間知を拡張するのに格好な場である。そこにいれば、旅行をしなくても知識を得ることができ、カントは同時に当時のイギリスやフランスを始めとするヨーロッパ諸国の先進的な思想活動をし、その影響下で自らの思想形式を行うことができたのである。
    他者の立場にたって思考する「複数主義」に基づく批判主義の哲学である常識的な考え方の逆で「公平無私な理性」の自己意識の試みを前提にこの理性の自己批判の試みをカントは、自ら「コペルニクス的転回」と呼んでいる。
    1789年のフランス革命は、ドイツに様々な波紋を投げかけて、反響を呼び起こしドイツの啓蒙思想家の多くは、フランス革命の精神に共鳴したのである。
    フランス革命に強い支持をしたカントが、ルソーに対して若い時から深...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。