1. 社会学は社会の構造や人々の関係性をありのままに観察し問うものだが、フランス革命をはじめとする市民革命が起きる以前は、このような態度は学問としてはっきりと分化してはいなかった。そのような封建社会において「社会について問う」とは、あるべき社会、理想像を求める啓蒙思想を指す、哲学に近いものであった。市民革命後、国民国家が成立し、個人の意識にも大きな変革が訪れる。個人とその集合体という概念、またそれぞれの利害が必ずしも一致しないことについての意識が自覚され、市民階級から現実と理想を区別する動きが現れる。19世紀は進化論が広く受け入れられたこともあり、社会を有機体として考え自然法則からのアナロジーによって理解できると考えた。しかしこのモデルでは、社会を構成する要素がどのように全体を動かしているかをうまく説明できず、下火になっていった。この要素と社会全体とのつながりをはっきりと問題にしたのが、ジンメル、デュルケム、ウェーバーの3人である。彼らは一人ひとりの行動やそれぞれの意味世界が、社会全体とどう繋がるかを問題にし、独自の視点で論じた。その前提として、当時社会主義の革命理論として影響力を持っ...