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日本書道史:王羲之の行書作品が日本の書にどう反映したか、思うところを述べよ。
日本の書道史において、王羲之は大変重要な役割を果たしている。『扶桑略記』の754年の記事によれば鑑真の渡来とともに羲之書法が伝えられた。そして、平安の三筆、三蹟により完成された和様書道にも大きな影響を与え、近世になって渡来した集帖などにより、羲之書法は書の規範としての地位を高めている。本リポートでは、王羲之の行書作品が日本の書にどのように反映したのか、時代を追いながら述べる。また近現代の政治家の書についても触れていく。
1.飛鳥から平安(前期)
435年に高句麗が北魏に朝貢したのをきっかけに、高句麗に伝わった北魏の文化が日本にも伝わり、中国南北朝風の文字がみられる。『法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘』はその例である。この広がりは『興福寺断碑』などの石碑、聖徳太子の肉筆として伝わる『法華義疏』にもみられる。聖徳太子による遣隋使の派遣などにより、朝鮮半島を通さずに直接隋唐の文化が流入するようになった。初唐の欧陽詢を彷彿とさせる『金剛陀羅尼経』『長谷寺法華説相銅板図銘』などがその代表的なものである。
奈良時代にな...