広告論でプレゼンをしたときのパワーポイントです。
ケースジンバブエ新聞
ジンバブエとは
人口約1400万人
GDP 1兆2千万円
大統領 ロバート・ムガベ
独立 1965年(ローデシア)
1980年(ジンバブエ)
ジンバブエの歴史
19世紀後半にイギリス南アフリカ会社に統治された後、第一次世界大戦後にイギリスの植民地に組み込まれ、イギリス領南ローデシアとなった[5]。国土のほとんどは白人農場主の私有地となり、住民達は先祖の墓参りの自由すらなかった。
ジンバブエの歴史(植民地時代)
19世紀後半にイギリス南アフリカ会社に統治された。
第一次世界大戦後にイギリスの植民地に組み込まれ、イギリス領南ローデシアとなった。
国土のほとんどは白人農場主の私有地となり、住民達は先祖の墓参りの自由すらなかった。
ジンバブエの歴史(植民地時代)
第2次世界大戦後、植民地から脱却し1960年代から黒人による独立運動が行われた。
1965年には、支配者層の白人が、一方的に独立を宣言。国名はローデシアとなった。
ローデシアでは、人種差別政策を推し進めたため、ローデシア紛争が起きる。
ジンバブエの歴史(独立後)
1980年の総選挙の結果、ジンバブエ共和国が成立した。
ロバート・ムガベは初代首相に就任した後、首相を廃止し、大統領制へ移行し、自らが大統領となった。
独裁者ムガベとハイパーインフレ
ムガベは、2000年に、それまでの黒人と白人の融和政策を転換、白人の農場を強制徴用し、そこで働く黒人に再分配した。
その結果、白人農場主がもっていた技術が失われ、経済が失速し、第二次大戦後最悪と言われるインフレーションが発生した。
野党などから批判が相次いだが、すべて弾圧し、1987年に大統領になってから、今日までも大統領になっている。
ジンバブエ新聞
ジンバブエ新聞(The Zimbabwean)は、ジンバブエで、ムガベを批判した新聞だった。
ムガベの迫害を受け、南アフリカへと追放された。
発行部数の低下に悩んだジンバブエ新聞は、「1兆ドルキャンペーン」を実施し、大成功した。
1兆円キャンペーン