合格をいただいた慶応通信日本史のレポートです。
内容は鎖国体制に関するものです。
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鎖国体制から開国までの外交
はじめに
江戸時代の初期には朱印船貿易や周辺諸国に日本人町が作られるなど、活発な外交が行われていたが、次第に海外渡航や貿易が制限され日本は鎖国体制に入った。しかし、長崎、薩摩、対馬、蝦夷これら「四つの窓口」において、日本と海外との交流は、開国されるまで継続されていた。このレポートでは第1章で鎖国体制下における対外関係、第2章では再び開国するまでの対外関係を論じる。
第1章鎖国体制下における海外との交流
1-1四つの窓口が果たしていた役割
徳川幕府の統治を脅かしかねないキリスト教の布教が広まるなどしたことが問題視され、幕府は1635年に朱印船貿易の停止に踏み切った。1641年にはオランダ人・商館を長崎に築いた人工島「出島」に移動させ、出島外への自由な往来を禁じた。中国人は長崎の十禅寺村に新設された「唐人屋敷」に住まわされた。公的な対外貿易もオランダと中国に限られるようになり、入港も長崎一港に限定した。こうして鎖国体制が確立していった。長崎には食品や布、書物など様々なものが輸入され、日本からは銀・銅・海産物などが輸出された。幕府はオランダ商館長に提出させていた、...