ロックの法思想
17世紀のイギリスでは絶対王政を打破し、立憲君主制を導入しようとして1642年にピューリタン革命、1688年に名誉革命が勃発した。この時代は市民によって革命が盛んに行われた時代であるともいえる。革命が盛んになった理由としては、国王が議会を無視して政治を行ったことにより、議会と国王との間に亀裂が生じた。それが市民にも広がってしまったのである。革命前のイギリスでは、王権神授説が信じられており、国王は神から権力を授かり、国を支配することが認められた存在であるという認識であった。そのため、酷い政治をしている王様であっても、神様が言うことは正しいと考えていたため市民は王様が行う政治について不満を言うことはなかった。しかし、カニヴァニズムの影響を受けた清教徒によって絶対王政を保持していた時代に国王であるチャールズ1世が処刑されてしまった出来事がおきる。このピューリタン革命が行われていた最中にジョン・ロックは少年時代を過ごしてきた。
ジョン・ロックの民主主義的な法思想は、ピューリタン革命のような暴力によって革命を成功させるなどの立場を支持しているのではなく、市民の生命や財産が奪われて...