東京福祉大学 アメリカの文化と言語Ⅰ レポートA評価 設題:8章「Martin Luther King, Jr.」について日本語で要約せよ。さらに、内容についてあなたの考えを述べよ。

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資料紹介

東京福祉大学のアメリカの文化と言語Ⅰのレポートです。
科目名:アメリカの文化と言語Ⅰ
科目コード:1090、1091
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資料の原本内容

8章「Martin Luther King, Jr.」について日本語で要約せよ。さらに、内容についてあなたの考えを述べよ。
 マーティン・ルーサー・キングは、平和的手段によって、アメリカの黒人たちの社会的・政治的・経済的な平等を得ようと活動した人物である。そのため、1968年に暗殺されてしまったが、彼の人生は、人種差別に対する抵抗の歴史において大きく影響を与え、今でもその影響は健在で、世界的なものである。
 何代も続くバプテスト派聖職者の家に生まれたキングは、ジョージア州アトランタで育ち、15歳で高校を卒業し、アトランタのモアハウス大学に進学した。初めは、医者か弁護士になろうと考えていたが、宗教には社会変革を促す強い力があると考え、牧師になることを決めた。そしてこの時期にイギリスの支配からインドを解放し、非暴力抗議を指導したガンジーの思想に深く共感し、このことが後の彼の行動に繋がることとなる。
 1950年代当時は、法律によって白人用の席が満席で、新しく白人が来た場合は、黒人の座っている席を譲らなければならない法律が存在した。この法律を無視して白人に席を譲らなかった黒人が逮捕されたことをきっかけに、キング牧師はバス乗車ボイコット運動を支援した。この運動は約1年続き、時に彼はハラスメントに苦しめられ、逮捕され、家が爆撃されたこともあったが、抗議活動を成功に導いた。それによりアメリカ合衆国最高裁判所が市バスの人種分離を定めた法律を違憲であるとし、これに伴って彼は多くの注目を集め、その影響力は急速に拡大した。
 その後彼は新しく設立された南部キリスト教指導者会議(SCLC)の会長として、南部の人種差別的な法律に抗議する多くの行進を指揮した。その過程でアラバマ州の警察長官がこの活動に反対し、止めるように命令したが、それに逆らったため、キング牧師と多くの人々が投獄されることになった。しかし彼は投獄されてなお、「バーミンガム刑務所からの手紙」にて、デモは違法であるという聖職者たちの主張に対しては、市民的不服従は不当な法律に直面したときに正当化されるだけでなく、必要であり、愛国的でさえあると主張し、アウトサイダー批判に対しては、すべての地域社会と国家は相互に関連しているということを述べた。
 1963年8月、キング牧師はワシントンのリンカーン記念碑の傍で、有名な「私には夢がある。それはいつの日か子どもたちが肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に生きられるようになることだ」という演説を行った。この演説は、アメリカ人演説家が行った演説の中で最も優れた演説であると考えられている。
 そして彼の努力によって1968年ジョンソン大統領が公民権法に署名した。この法律は、主として黒人の公民権を幅広く認めた法律で、これにより雇用、公共施設、その他生活上のさまざまな面での差別が禁止された。その後もキング牧師は、読み書き能力テストなど差別的な手段で黒人が投票権を拒否されることがないよう、法による保証を求め続け1965年に投票における人種差別をなくす投票権法も成立させた。
 そして彼は、公民権運動の指導者としての功績や非暴力の原則の実践、国際的な影響力、世界平和への貢献など、さまざまな理由からノーベル平和賞を受賞することとなった。これは、キング牧師の人生や活動が世界的に認められたことを意味する。しかしその後彼は、メンフィスのストライキを支持するために訪れたホテルのバルコニーに立っている所を銃弾で撃たれ、39歳の人生に幕を閉じることとなった。犯人はジェームズ・アール・レイという男で、人種差別や政治的な動機に基づいてキング牧師を標的にしたとされているが、その真相は今も分かっていない。 
キング牧師が参加することになっていたメンフィスの清掃労働者ストライキの行進は4月8日、キングの追悼行進として2万人が参加し、4月16日に市当局が労働組合と最低賃金の引き上げを認め勝利した。しかしその一方で、キング暗殺に対する黒人の怒りも全米の都市で暴動として現れた。1週間のうちに125の都市で43人が死亡し、2万人が逮捕された。彼の暗殺は、公民権運動とアメリカの歴史における重要な転換点の一つとして歴史に記憶され、死後出版されたエッセーの中で彼は、アメリカの黒人が非暴力を続けるよう呼びかけると同時に、「我々の社会構造の中では、黒人のための正義は過激な変革なしに成し遂げることはできない」と警告している。
 キング牧師が暗殺された後、公民権法と投票権法の成立を実現させた功績を称え、毎年1月の第三月曜日が「キング国民祝日」として祝われることになった。これはアフリカ系米国人を記念する唯一の祝日である。現在、毎年この日には各地で、キング牧師と彼の夢を称え、追悼式が開かれたり、大がかりな式典や、公開討論会で社会的公正について話し合うイベントが開催されている。また学校では、どの学年も、人種差別、平等、平和について教えるための授業やカリキュラムが組まれ、ラジオやテレビでは、この日にちなんだ歌や演説が放送されており、さまざまな人から愛されている。
 ここまでキング牧師の人生について述べてきた。キング牧師の生涯は、平和と平等のために献身的に闘った勇敢な姿勢を象徴しており、彼の非暴力的な闘いと情熱は、人々に希望と変革の力を与えたはずである。そして彼が最も若くノーベル平和賞を受賞し、彼の死後も国民の祝日になっていることからもアメリカ国民に尊敬されていることがわかる。物事を解決する際には、暴力的な手段をとる場合もあると思うが、徹底して非暴力による解決を訴えたのはすばらしいことだと思う。
根間弘海「アメリカを変えた20人」三修社
2022年
行方昭夫「身につく英語のためのAtoZ」岩波ジュニア書店 2014年
佐藤誠司「高校生のための英語学習ガイドブック」 岩波ジュニア書店 2012年
蓮見清一「ノーベル賞をとったえらい人」
宝島社 2015年
イデア・ビレッジ「教科書に出てくる世界の偉人 100人のことがよくわかる本」メイツ出版株式会社 2003年

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