40年近く行方が知れず、つい先日の7月7日に汐留日テレプラザにて公開された「明日の神話」の作者である岡本太郎はその発見を待たずに1996年に永眠した。1970年の大阪万博でかの有名な「太陽の塔」の制作者として世の中の人々に知られることになった彼は、「明日の神話」が再び世に出ることによって死後10年経った現在再評価されつつあるのだ。
この日本が誇る芸術家にとってなくてはならない存在なのがフランスだ。彼は下積み時代というもの時期をフランスで過ごした。父親の仕事の都合で渡仏した岡本太郎は当時の日本からの留学生のようなフランスにとけこまない生ぬるい生活を嫌い、自らをいわゆるフランスまみれの生活の中に置いたのだ。それまでフランス語の勉強を特にしていたわけでもない彼にとっては楽な生活ではなかったであろうが、彼はフランス語を習得しソルボンヌ大学で学ぶまでになる。岡本太郎はフランス語を会得し、フランス文化を吸収し、フランスを知らなければ意味がないと考えたのである。事実、その当時のフランスに新しい芸術を模索しにきていた生ぬるい生活をしていた日本人留学生たちはそれが見つからずにもがいていた者たちも多くいた...