『国際関係論 同時代史への羅針盤』書評

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    資料紹介

    講義「 国際関係論 」の序盤で出された課題が、この書評レポートでした。

    本格的に国際関係論を学ぶ前に、この本を読んで書評を書く。
    それによって、国際社会の展望を描くこの学問の意義を感じ取ることができたように思います。

    資料の原本内容

    『国際関係論 同時代史への羅針盤』書評
    「国際関係論」と銘打ったこの新書はそのタイトル通り、国際関係論とは何たるものであるのかという概論から始まり、代表的な思想家とその理論、地域研究と国際関係論の関連性、冷戦がもたらした国際関係の流れやその後の社会主義や民族紛争の経過などを交え、国際関係論の可能性と限界を述べている。本書が刊行されたのが1992年ということもあり、内容は冷戦、社会主義国家、民族紛争などに主眼が置かれ、著者が終章で「1990年代末には、20世紀最後のもうひとたびの大きな変動が生じ、あるいは社会主義国家がいよいよ最後的に消滅する方向へと進むことになるかもしれない。」(中嶋 1992 P218)と述べているのが印象的である。しかし、本書の刊行から14年経った現在の国際関係は、数少なくなった社会主義国家も曲がりなりにも健在で、北朝鮮に関しては核実験を実施し、体制の存続を粘り強く模索している状況である。また、9.11を契機に冷戦後の社会主義国の動向や民族紛争へのアプローチに加え、国家という枠組みを持たない国際的なテロ組織との闘いという新たな命題がクローズアップされ、21世紀に入りさらに混迷の様相を深めている。本書では「テロ」という言葉はほとんど出てこない。しかし、著者が9.11を契機とする国際的なテロ拡散の現状を全く予見できていなかったとは言えない。むしろ的確ともいえる鋭い予見をしている。いくつか例を挙げると、まず「これからの世界は社会主義体制の解体によって、イデオロギー優位の時代は終焉するとともに、文化や宗教に基づく地域紛争がまだまだ解決困難な課題として残るだろう。それはある意味では、核戦争の脅威よりももっと厄介で解決の難しい紛争だといえよう。」(中嶋 1992 P20)という指摘は、イスラム社会との亀裂が生まれている現在の世界情勢の混迷ぶりを端的に示しているようである。また、「国際関係における文化的接触の断面は今後ますます重要視されなければならない。それはまさに“文化が戦争を起す”といった状況が、皮肉にも、21世紀に向けてまったく未解決のまま残されているからだといえよう。」(中嶋 1992 P20)というように、キリスト対イスラムという構図で語られることもある9.11からアフガニスタン侵攻、イラク戦争に至るまでの歴史を経た今日からみると、非常に鋭い指摘をしていたといえる。

    時代とともに絶えず変動する国際情勢の中でその都度、様々なルールを模索していく国際関係論における倫理とは何かということを述べている終章で、著者は国際関係における道義の限界を踏まえつつ、「国際関係のシステムやネットワークの実際的な形成のなかに国際関係の倫理的基盤を求めるのが、国際関係論の立場といってよい。」(中嶋 1992 P209)と指摘している。この指摘は、アメリカ一極主義が顕著となった9.11以後、世界が地道に国際関係のあり方を模索し始めている今日には、より一層重い響きを持つように思える。また、歴史の大きな時間軸を見つめた、「10年という時間間隔は、新しい国際環境が形成され、やがてそこに問題が生じて変化ないしは破局を迎えるまでに要する“時間的成熟”の期間として必要十分なのではないだろうか。」(中嶋 1992 P218)という指摘は、混迷するイラク情勢、相変わらず展望の見えない中東問題などの前で立ち往生しているかのような今日の世界に、長いスパンで少しずつでも国際問題に対処していく重要性を改めて諭すかのようである。こうして読んでみると、歴史から得られる事実を考察していく過程が、未来に起こりうる国際関係の変化に対応する上で重要だということを改めて論理的な理解として伝えているのが本書なのだと思われる。
    < 参考文献 >

    『国際関係論 同時代史への羅針盤』(中公新書) 中嶋嶺雄 1992年 中央公論社

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