授業でも最終会に扱っていただいたリーフェンシュタールの「オリンピア」を実際に鑑賞することによってその表現技法を運動についても触れて考察した。それを現在のオリンピックの表現技法とできる限り比較してどのように違うのかを簡単に考えてみた。
オリンピアを見て
まず古い記録映画、特にこの時代のナチならばありがちに思われる自国びいきな実況はこの映画の中ではあまり見られなかった。時代を考えるとこの点は特徴的であるといえる。ただヒトラーの作ったアウトバーンについての解説が含まれていたり、ヒトラーが一人の観客として競技を観戦していることを映すことにより外部というより内部の引き締め効果があったようにも思える。ただ先にも述べたようにドイツ自体はこの映画では競技ではそこまで目立ってなく(実際にそこまで強くなかったのだろうか)リレー失敗の様子なども映しており意外であった。この時世界からのナチスへの不安を解くためにおとなしい内容になったのだろうか。アナウンサー(映画自体)は競技というよりも厳しい戦いの中を戦っている各国の選手について伝えていたように思われる。それは、現在ならば当然注目される記録やタイムについてそれほど言及していないというところにも現れている。
オリンピアの鑑賞と現代オリンピック映像との比較
授業でも最終会に扱っていただいたリーフェンシュタールの「オリンピア」を実際に鑑賞することによってその表現技法を運動についても触れて考察した。それを現在のオリンピックの表現技法とできる限り比較してどのように違うのかを簡単に考えてみた。
オリンピアを見て
まず古い記録映画、特にこの時代のナチならばありがちに思われる自国びいきな実況はこの映画の中ではあまり見られなかった。時代を考えるとこの点は特徴的であるといえる。ただヒトラーの作ったアウトバーンについての解説が含まれていたり、ヒトラーが一人の観客として競技を観戦していることを映すことにより外部というより内部の引き締め効果があったようにも思える。ただ先にも述べたようにドイツ自体はこの映画では競技ではそこまで目立ってなく(実際にそこまで強くなかったのだろうか)リレー失敗の様子なども映しており意外であった。この時世界からのナチスへの不安を解くためにおとなしい内容になったのだろうか。アナウンサー(映画自体)は競技というよりも厳しい戦いの中を戦っている各国の選手について伝えていたように思われる。それ...