国文学史・分冊2【日本大学通信教育・国文学・合格レポート・2012】

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    資料紹介

    課題内容
    吉田兼好の生涯と『徒然草』の成立や特徴について説明しなさい。

    なお、当方、2013年採用の教員採用試験に合格しました。お買い上げいただいた方でご希望であれば、簡単にではありますが、採用試験におけるアドバイスもさせていただきます。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    兼好は、蒙古襲来の二年後である鎌倉時代後期の弘安六年(一二八三年)頃、神祇官の家・卜部家の三男として生まれたとされている。十九歳の頃、後二条天皇の御代の蔵人として宮仕えの生活に入り、二十五歳の頃、左兵衛佐に昇進し、左兵衛府で宮門の守備・行幸・行啓といった皇室の外出のお供などに従事したと言われ、順調に出世していっていったと判断してよいだろう。この前後に、藤原(二条)為世という歌道師範に弟子入りし、歌人としての精進していったとされている。
    しかし、二十代後半に宮廷を辞し、三十台前半に出家したといわれている。出家後は、比叡山の横川にこもったり、称名寺を拠点として関東を旅して各地を回ったりして、歌人としての見聞を広めていったとされている。
    そして、三十代後半から四十代にかけて、勅撰集にかかわったり、二条派の歌を伝授されるなど、頓阿・浄弁・慶運とともに二条派の四天王と称されるほどに活躍した。この間、兼好は、京都に戻り、歌人として、政治の中心人物たちの間を行き来して見聞を広めていったとされる。
    こうした経験を踏まえた上で、四十八歳から四十九歳の頃に徒然草の執筆をしたといわれている。その後は、古今集...

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