民主主義は、紀元前6世紀から前4世紀にかけてギリシアの多くのポリスに登場した政治において現れている。その後、民主主義の理念や実践は諸種の小規模な都市や集団の中に例外的に現れることはあったが、政治体制としての民主主義は17、18世紀の近代市民革命に至るまで歴史上に姿を見せることはなかった。古代ギリシアの民主主義と近代西欧型の民主主義には大きな相違点がある。すなわち、前者の直接民主主義と後者の間接民主主義である。ギリシアはポリス間の権力闘争の末やがて衰退の運命をたどったが、ギリシア、特にアテナイ民主制の消長は大変貴重な教訓を多く含んでいたとも言える。
しかし、「民主制は、古代ギリシアで発明され、その後、多かれ少なかれ持続的に発展して行き、次第にその小さな始まりを越えて外に広がり、今日に至って全大陸に達し、人類の大部分に行き渡った」、と言う説明は正しいだろうか。民主制は、最初に自力で発明した人々から他の集団へと伝播することで広がって行ったのだろうか。逆に、様々な時代や場所で、それぞれ独自に作り上げられたものなのかもしれないのである。思うに、民主制の普及に関しては、そのどちらとも言えない所がある。すなわち、民主制の進展は、おそらくかなりの程度まで、主として民主的な理念や実践の伝播によるものと説明してもよいだろ
「古代アテナイの民主制の歴史的意義」
民主主義は、紀元前6世紀から前4世紀にかけてギリシアの多くのポリスに登場した政治において現れている。その後、民主主義の理念や実践は諸種の小規模な都市や集団の中に例外的に現れることはあったが、政治体制としての民主主義は17、18世紀の近代市民革命に至るまで歴史上に姿を見せることはなかった。古代ギリシアの民主主義と近代西欧型の民主主義には大きな相違点がある。すなわち、前者の直接民主主義と後者の間接民主主義である。ギリシアはポリス間の権力闘争の末やがて衰退の運命をたどったが、ギリシア、特にアテナイ民主制の消長は大変貴重な教訓を多く含んでいたとも言える。
しかし、「民主制は、古代ギリシアで発明され、その後、多かれ少なかれ持続的に発展して行き、次第にその小さな始まりを越えて外に広がり、今日に至って全大陸に達し、人類の大部分に行き渡った」、と言う説明は正しいだろうか。民主制は、最初に自力で発明した人々から他の集団へと伝播することで広がって行ったのだろうか。逆に、様々な時代や場所で、それぞれ独自に作り上げられたものなのかもしれないのである。思うに、民主制の普...