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北朝鮮の核兵器問題
North Korea and Nuclear
黒澤
Weapons
満*
Mitsuru KUROSAWA
Abstract
Nuclear
issue of North
strong
impact on Japan's
of this
issue.
Then
Korea is one of the most difficult
security.
I examine
six-party
talks.
Thirdly,
I analyze
finally
I touch
North
Korea. I conclude
Firstly
the
I will
policy
upon the argument that
that peaceful
weapons, North
nuclearization,
NPT
* 大阪大学大学院国際公共政策研究科教授
the
options
security
settlement
Bush Administration
for resolving
of the nuclear
issues
background
Japan may go nuclear because
also calms down the argument for Japan's
: nuclear
show the historical
under
four possible
regional
and has,
and sequence
leading
to the
the nuclear
issue,
and
of nuclear
threat
from
issue is indispensable
and it
nuclearization.
Korea, Agreed
Framework,
six
party
talks,
Japan's
国際公共政策研究
は
じ
め
第8巻第2号
に
一北朝鮮の核兵器をめぐる動きは、現在の国際社会で大きな注目を集めており、また冷戦後
の新たな国際秩序の形成に関連しても重要な課題となっている。またこの間題は日本の安全
保障にも直接影響を与えるものであり、日本の積極的な対応も必要とされている。
本稿では、北朝鮮問題の中で核兵器を対象として分析を行うものである。まず北朝鮮の核
兵器関連問題の歴史的な流れを考慮する必要があり、冷戦終結直後の積極的な動きと消極的
な動きを検討し、その結果としての米朝枠組み合意の内容を分析する。またクリントン政権
における対北朝鮮政策を、枠組み合意の実施、朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)の機能、
ペリー報告書などをベースに分析する。
次に、プッシュ政権はクリントン政権の政策が失敗だったと判断し、北朝鮮には横極的に
関与しない政策を採用するが、 2002年後半から協議を開始し、北朝鮮の瀬戸際外交がいっそ
う強硬になり、 2003年には6カ国協議開催にいたったが、それらの一連の動きをとらえなが
ら、現状を分析する。
第3に、北朝鮮の核兵器問題の解決に向けてのさまざまな選択肢を検討する。そこでは、
軍事的な解決、経済制裁など国連による解決、米朝2国間交渉による解決、 6者協議など多
国間交渉による解決を考える。
最後に、北朝鮮の核兵器開発が進展し、北朝鮮の脅威が増加するにつれて、米国および日
本において、日本の核武装論が議論されるようになったが、その議論の内容と意図、および
日本の核武装の意味について考察する。
I 1990年代の北朝鮮の核問題
I 冷戦終結と北朝鮮の核疑惑
冷戦が終結したことがこの間題の進展の出発点となっており、 1990年代初期の情勢を明か
にしておくことが必要である。北朝鮮は以前から原子力の開発を実施していたが、ソ連から
の原子力平和利用における協力に関連して、ソ連の要求もあり、 1985年12月12日に核不拡散
条約(NPT)に加入した。条約規定によれば、北朝鮮は国際原子力機関(IAEA)との保障
措置協定の交渉を条約の寄託の日までに開始し、交渉開始の後18箇月以内に協定を発効させ
る義務がある。しかし北朝鮮はIAEAとの交渉を行わなかった。その主要な言い訳は、韓国
に米国の核兵器が配備されているという理由であった。
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冷戦が終結し、米国のプッシュ大統領(第41代)は、いわゆる大統領イニシアティブによ
り1991年9月に、地上配備の短距離すなわち戦域核兵器を全世界的に廃棄することを発表し
た。これにより韓国に配備されていた核兵器もすべて撤去されることになり、同年12月12日
に韓国の虚泰愚大統領は、韓国に核兵器は1つもないと宣言した。また米韓はそれまで実施
してきたチーム・スピリット共同軍事演習も中止した。このような朝鮮半島の環境改善によ
り、朝鮮半島非核化共同宣言が合意され、北朝鮮との保障措置協定が締結された。
2 朝鮮半島非核化共同宣言
冷戦終結後の環境改善に伴い、韓国と北朝鮮は1991年12月13日に、 「南北間の和解、不可侵、
交流・協力に関する議定書」に署名したが、これは1945年の朝鮮分裂以来の最も重要な合意
となっている。その後両国は非核化の交渉を行い、同年12月31日に「朝鮮半島非核化共同宣
言」に署名した。その内容は以下のとおりである。
① 南と北は、核兵器の試験、製造、生産、接受、保有、貯蔵、配備、使用を行わない。 ,
② 南と北は、核エネルギーを平和的目的だけに利用する。
③ 南と北は、核再処理とウラン濃縮施設を保有しない。
④ 北と南は、朝鮮半島の非核化を検証するため、相手側が選定し双方が合意した対象に
ついて、南北核管理共同委員会が規定する手続と方法によって査察を実施する。
⑤ 南と北は、この共同宣言の履行のため、共同宣言の発効後1カ月以内に南北核管理共
同委員会を構成し、運営する。
⑥ この共同宣言は、南と北がおのおの発効に必要な手続きを経て、その本文を交換した
日から効力を発生する。
この共同宣言は1992年2月19日に発効し、 3月19日には「核管理共同委員会」も設置され
た。しかし2国間査察制度について意見が大きく対立し、合意に達することはできなかった。
3 保障措置協定の締結とNPTからの脱退通告
北朝鮮は1992年1月30日にIAEAとの保障措置協定に署名し、協定は4月10日に発効し
た。北朝鮮の冒頭報告にもとづく特定査察(ad hoc inspection)が5月25日から開始され1993
年2月まで6回の査察が実施された。その結果、 IAEA事務局長は2月9日に北朝鮮に対し
特別査察(special inspection)を要求した。その目的は、サンプルと計測における大幅な矛
盾を明白にすることで、北朝鮮内の2つのサイトへのアクセスを得ることであった。
北朝鮮は特別査察の要請を拒否するとともに、 3月12日にはNPTからの脱退を通告した。
IAEA理事会および国連安全保障理事会が決議を採択し、北朝鮮に対し脱退声明を再考し、
NPTの義務を尊重し、保障措置協定を遵守するよう要請した。米国との高官協議における進
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展を背景とし、北朝鮮は、脱退声明が発効する前日の6月11日にその発効を一時停止すると
発表した。しかし、その後事態はまったく進展しなかった。
1994年6月15日に米国は、国連安全保障理事会において、北朝鮮に対する制裁を提案し各
理事国との調整を開始し、米国の単独の軍事行動の可能性も検討されるようになった。 6月
16日にか一夕一元大統額が金日成主席と会談し、その結果を受けて同日クリントン大統額は
北朝鮮が核開発を凍結することを条件に米朝高官協議を再開することを表明した。
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米朝枠組み合意とKEDO
1994年10月 21日に米朝間で署名された「枠組み合意(Agreed Framework)」では、以下の
4つの大枠がまず定められている。 ①両国は、北朝鮮の黒鉛減速型原子炉・関連施設を軽水
炉発電所に代替することに協力する。 ②両国は、政治的・経済的関係の完全な正常化に向け
て動く。 ③両国は、非核朝鮮半島の平和と安全のため協力する。 ④両国は、国際核不拡散体
制の強化のために協力する。
この内容は核不拡散が中心であり、まず北朝鮮がNPTの当事国にとどまること、北朝鮮
が核開発を凍結しIAEAの監視下に置くこと、米国は国際共同事業体を組織し、北朝鮮に
2000メガワットの発電所を提供すること、軽水炉計画の重要な部分が完成するとき、しかし
中枢的原子力構成要素が搬入される前に、北朝鮮はIAEAとの保障措置協定を完全に遵守す
ることが定められている。
この原子炉建設計画を実施するために、 1995年3月9日に朝鮮半島エネルギー開発機構
(KEDO)が発足した
KEDOは米国、日本、韓国を原加盟国とし、 EU (欧州連合)‑とと
もに理事会を構成している1997年8月には起工式が行われた1998年7月の理事会で総事
業費と各国負担額が決められ、総額46億ドルで、韓国が32億2000万ドル(70%)、日本が10億
ドル(21.7%)と決められた。また1999年12月には原子炉建設に関するKEDOと韓国電力会
社との契約が成立した。 2003年頃完成が予定されて...