東洋史概説 第二回 「鄭和の航海について」 評価B 2009

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    東洋史概説 第二回 「鄭和の航海について」 のレポートです。評価はBでした。2009年の問題です。参考にしてください

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    第二回:鄭和の航海について
    2009/05
    元朝時代の14世紀中葉に相次ぐ天災や飢饉、黄河の氾濫に伴う無償の治水工事などに民衆の不満が募り、1351年紅巾の乱が起こる。また元王朝内部の紛争も手伝い、紅巾の流れを汲む朱元璋が元王朝を滅ぼし明が建国された(1368年)。朱元璋は洪武帝と名乗り独裁体制を築き、建国以来の側近を次々に粛清する。こういった状況下で政務をこなす信頼できる人間として宦官が多く用いられた。宦官が重責ある政治登用され、後の鄭和のポストを生むことになる。15世紀に入り、第3代皇帝永楽帝が靖難の役(1401年)で即位すると、外征の勢いが強まる。それは鄭和をはじめとする宦官たちを海外に派遣し、朝貢貿易における冊封体制の強化を目指したものであり、またティムール帝国などが中国に向けて武力侵攻をなすことに対して歯止めを掛けるためのものでもあった。
    鄭和は1371年に雲南地方で生まれ、イスラム教徒の親を持ち、永楽帝の宦官となるとその実力が認められ1405年に南海遠征の指揮官に抜擢される。1405年から始まった遠征は永楽帝下で6回(1405~1423年、一回の航海期間は一年半ほど)、続く...

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