歴史哲学は一般的には、歴史についての哲学的な考察のこと。しかし、「歴史哲学」という言葉が18世紀の啓蒙主義的思想家ボルテールの「習俗論」ではじめてつかわれたことからもわかるように、この学問の成立はきわめて新しい。それまで「歴史」と「哲学」はなじみにくいものと考えられてきたからである。
古代ギリシャの考え方によれば、「歴史」は「哲学」が対象とするには値しない。哲学が時間をこえた永遠の理性的真理を対象とするのに対して、歴史は絶え間ない生成と消滅の本来的な舞台でしかない。そこでは、さまざまな英雄や民族や国家が登場し、全盛期をむかえ、没落していく。歴史においては、次々にあらわれる経験的な事実をものがたり、書きとめるほかはない。ちなみに歴史をしめすギリシャ語「ヒストリア」は、もともと「報告」とか「物語」という意味である。歴史を書きとめるのは過去の事実にまなび、教訓とするためである。こうした実用主義的な歴史観はローマ時代にもかわらない。キケロもまた歴史の意義を「人生の師」という点にみとめていた。
中世になると、「歴史」は逆に「哲学」をこえたものになる。中世のキリスト教徒にとって歴史は、たんなる経験的事実の集積ではなく、人間を世界創造から最後の審判へとみちびく架け橋であり、神の普遍的な摂理がつらぬいている領域である。歴史は人類の救済にかかわる重要な領域となる。ここでは歴史はひとつの統一的な原理が支配するものになるが、この原理は神の「啓示」に属するのであって、人間の理性のかかわりうるものではない。この歴史観はアウグスティヌス『神の国』によって確立され、中世を通じてうけつがれていく。
歴史」が「哲学」と出あうには、神の啓示にかわって人間理性が根源的原理に昇格する近代をまたなければならない。とはいえ、歴史がすぐに理性的考察の対象となったわけではない。
歴史哲学の歴史とヘーゲル歴史観
歴史哲学は一般的には、歴史についての哲学的な考察のこと。しかし、「歴史哲学」という言葉が18世紀の啓蒙主義的思想家ボルテールの「習俗論」ではじめてつかわれたことからもわかるように、この学問の成立はきわめて新しい。それまで「歴史」と「哲学」はなじみにくいものと考えられてきたからである。
古代ギリシャの考え方によれば、「歴史」は「哲学」が対象とするには値しない。哲学が時間をこえた永遠の理性的真理を対象とするのに対して、歴史は絶え間ない生成と消滅の本来的な舞台でしかない。そこでは、さまざまな英雄や民族や国家が登場し、全盛期をむかえ、没落していく。歴史においては、次々にあらわれる経験的な事実をものがたり、書きとめるほかはない。ちなみに歴史をしめすギリシャ語「ヒストリア」は、もともと「報告」とか「物語」という意味である。歴史を書きとめるのは過去の事実にまなび、教訓とするためである。こうした実用主義的な歴史観はローマ時代にもかわらない。キケロもまた歴史の意義を「人生の師」という点にみとめていた。
中世になると、「歴史」は逆に「哲学」をこえたものになる。中世のキリスト...