神仏習合とは、土着の神祇信仰と仏教信仰を折衷して、一つの信仰体系として再構成すること。広義では、仏教が広まった世界各地で土着の信仰との間で起こった現象をさし、狭義ではその中で特に日本で起こった現象を指し、一般的に後者を意味する。
仏教はキリスト教やイスラム教などに比べると、きわめて宗教的には寛容である。仏教自身が興起したインドにおいても、8世紀に密教が成立すると、ヒンドゥー教や民間信仰の神々を数多くとりいれて、仏教の守護神としたり、大日如来の化身としたりした。
日本においては、周知の通り中国から伝わった「仏教」とそれ以前に土着し流布していた「神道」との混淆である。
【仏教伝来による影響】
仏教(大乗仏教)が日本に伝わったのは552(538)年で、時の天皇である欽明天皇の下の二大勢力である「蘇我氏」と「物部氏」が前者は崇仏派、後者は排仏派として政治的な争いを繰り広げる。最終的には、聖徳太子という人物の登場もあり、蘇我氏が勝利を収め、仏教が正式的に認められることになる。
が、かといって神祇信仰がなくなったというわけではない。仏教の伝来を受け、神祇信仰もその形相を変容させていく。その最も顕著な例が「神社」の出現である。それまでは必要な時にだけ降臨させていたが、人里に社殿をつくり、そこに常時駐在を求めるようになったのは仏教の伝来による影響が大きいと考えられる。もう一つ大きく変化した現象は、それまで神祇信仰において祭られていたのはもっぱら「自然神」であったが、仏教伝来以降、自然神の人格化、また祖先神つまり「氏神」が祭られるようになった。
ところがまた同時に、「氏寺」なるものも造られるようになる。例えば蘇我氏の飛鳥寺・藤原氏の興福寺・秦氏の広隆寺、また聖徳太子の法隆寺・四天王寺である。
ここでなぜ神祇信仰と仏教信仰がこうも上手く共存していくことができたのか、その理由をいくつかとりあげてみたい。
神祇信仰と仏教の関係について
神仏習合とは、土着の神祇信仰と 仏教 信仰を折衷して、一つの信仰体系として再構成すること。広義では、仏教が広まった世界各地で土着の信仰との間で起こった現象をさし、狭義ではその中で特に日本で起こった現象を指し、一般的に後者を意味する。
仏教はキリスト教やイスラム教などに比べると、きわめて宗教的には寛容である。仏教自身が興起したインドにおいても、8世紀に密教が成立すると、ヒンドゥー教や民間信仰の神々を数多くとりいれて、仏教の守護神としたり、大日如来の化身としたりした。
日本においては、周知の通り中国から伝わった「仏教」とそれ以前に土着し流布していた「神道」との混淆である。
【仏教伝来による影響】
仏教(大乗仏教)が日本に伝わったのは552(538)年で、時の天皇である欽明天皇の下の二大勢力である「蘇我氏」と「物部氏」が前者は崇仏派、後者は排仏派として政治的な争いを繰り広げる。最終的には、聖徳太子という人物の登場もあり、蘇我氏が勝利を収め、仏教が正式的に認められることになる。
が、かといって神祇信仰がなくなったというわけではない。仏教の伝来を受け、神祇信仰もその...