日本人の多くは自分たちの宗教が何かと聞かれたときに、『無宗教』という言葉を掲げる。ただ、冠婚葬祭・墓参り・その他諸々の行為に代表されるように、日本人に宗教心が無いわけではない、むしろ強い方だ。特定の宗派・既成宗教の枠にはめられるのを嫌っているだけなのである。これについては、日本人の感覚の要因を創唱宗教と自然宗教による区別から分析すべきであろう。ここで『創唱宗教』とは、特定の人物が特定の教義を唱えてそれを信じる人々のいる宗教である。教祖と経典それに教団の三者によって成り立っているといってよい。代表的な例はキリスト教、仏教、イスラム教などであり、新興宗教等もこれに属する。これに対して『自然宗教』とは文字通り、いつ、誰によって始められたか分からない自然発生的な宗教であり、教祖や経典、教団を持たない。これは自然を信仰対象とするものではなく、あくまで自然に発生し、無意識に先祖たちに受け継がれ、今に続いてきた宗教である。自然宗教は我々日本人の生活や行事にしっかりと体系化している。例えば、初詣。日ごろ神社に行かない人でも元旦の日は神社へと出かける、若年層、壮年層、老年層にかかわらず日本人の約半数がこの日は参拝に出かける。これこそ日本人が自然宗教の信者である証拠であろう。もちろん参拝する人々にこうした「自然宗教の信者」という意識は無い。しかし初詣は紛れも無く自然宗教の重要な行事の1つである。それはなぜか。「自然宗教は創唱宗教のように特別の教義や儀礼、布教師や宣教師は持たないが年中行事という強力な教化手段を持っているといえるのであり、人々はそうした年中行事を繰り返すことによって生活にアクセントをつけ、いつの間にか心の平安を手にすることができたのである。そこではとりたてて特別の教義、つまり創唱宗教を選択する必要は無かった。
日本人の宗教観とその内実
日本人の多くは自分たちの宗教が何かと聞かれたときに、『無宗教』という言葉を掲げる。ただ、冠婚葬祭・墓参り・その他諸々の行為に代表されるように、日本人に宗教心が無いわけではない、むしろ強い方だ。特定の宗派・既成宗教の枠にはめられるのを嫌っているだけなのである。これについては、日本人の感覚の要因を創唱宗教と自然宗教による区別から分析すべきであろう。ここで『創唱宗教』とは、特定の人物が特定の教義を唱えてそれを信じる人々のいる宗教である。教祖と経典それに教団の三者によって成り立っているといってよい。代表的な例はキリスト教、仏教、イスラム教などであり、新興宗教等もこれに属する。これに対して『自然宗教』とは文字通り、いつ、誰によって始められたか分からない自然発生的な宗教であり、教祖や経典、教団を持たない。これは自然を信仰対象とするものではなく、あくまで自然に発生し、無意識に先祖たちに受け継がれ、今に続いてきた宗教である。自然宗教は我々日本人の生活や行事にしっかりと体系化している。例えば、初詣。日ごろ神社に行かない人でも元旦の日は神社...