バタイユは普遍経済学の諸法則を説明するために、生命(生物)のエネルギーの剰余について述べている。おおよそ全ての生物の生命活動においての基本は剰余エネルギーにこそある。剰余エネルギーといってもその形態は様々であるが、バタイユはその過剰発展の根源は太陽エネルギーだとしている。「社会の存続はおびただしい非生産的消費を代償に始めて可能であるごとく、人間存在にも常に過剰が付きまとう。けだし一切の成長の源泉である太陽光線は必要以上に与えられるからだ。」・・【注1】 太陽はエネルギーを地球に向けて際限なく発し、しかもその譲渡に対する見返りを持つこともない完全なる「贈与」をしているのである。バタイユの非生産的消費の概念は此処からスタートしているといえるのではないだろうか。ここで一つの疑問が浮かぶ。太陽の「贈与」するエネルギーは確かに膨大な量ではあるが、はたして地球の生物がそのエネルギーを活用できるのか、という疑問である。太陽の持つエネルギーは熱エネルギーであるが、それは地球の気温や水温などに作用するがそれが生態系のエネルギー交換に直接的には作用しない。植物の光合成に光は必要であるがそれは植物が二酸化炭素を酸素に変えるときに必要な化学変化エネルギーとして利用される、つまり植物は無償でエネルギーを得ていることになる。しかし、植物は光のうち緑・黄色を吸収できない上に空気中に存在する0.03%の二酸化炭素という条件下でしかエネルギー生成できない(理想の二酸化炭素濃度は約2%)。そしてそれは植物に限っていえることではなく、むしろ動物の捕食という効率の悪いエネルギー摂取の方法では尚更であろう。
バタイユの非生産的消費論
バタイユは普遍経済学の諸法則を説明するために、生命(生物)のエネルギーの剰余について述べている。おおよそ全ての生物の生命活動においての基本は剰余エネルギーにこそある。剰余エネルギーといってもその形態は様々であるが、バタイユはその過剰発展の根源は太陽エネルギーだとしている。「社会の存続はおびただしい非生産的消費を代償に始めて可能であるごとく、人間存在にも常に過剰が付きまとう。けだし一切の成長の源泉である太陽光線は必要以上に与えられるからだ。」・・【注1】 太陽はエネルギーを地球に向けて際限なく発し、しかもその譲渡に対する見返りを持つこともない完全なる「贈与」をしているのである。バタイユの非生産的消費の概念は此処からスタートしているといえるのではないだろうか。ここで一つの疑問が浮かぶ。太陽の「贈与」するエネルギーは確かに膨大な量ではあるが、はたして地球の生物がそのエネルギーを活用できるのか、という疑問である。太陽の持つエネルギーは熱エネルギーであるが、それは地球の気温や水温などに作用するがそれが生態系のエネルギー交換に直接的には作用しない。植物の光合成に光は必要で...