このレポートでは、相良亨著『甲陽軍艦・五輪書・葉隠』(1969、筑摩書房)を読み、武士の思想の部分を要約した後で、それを踏まえて菅野覚明著『武士道の逆襲』を批判的に論じる。そして最後に、武士道(武士思想)に対する自分の考えを述べる。
1.要約
《鎌倉武士の思想》
「弓矢取る身の習」、「板東武者の習」は公家に対する武士としての独自の生き方の自覚。「弓矢取る身の習」は「常の習」である。
すべての私を捨てた生き方を、和辻哲郎は「献身の道徳」だと言う。これは武士にとって、絶対的価値を持つ。主君への残りなき献身をおし出したものが、主従の情的な結合なのである。「限りなき御顧」に応える「残りなき献身」が鎌倉武士の理想なのだ。「心がはり」とは生命を思い、一族の生活を思うとき、一族の生活をすてて情に生きることである。
「運の尽き」と思い切ることは、いかに武士らしく生きたかである。いかに武士らしく生きたかは、まさに「弓矢取る身の習」なのだ。武士は、主君ではなく自分の名の追求(主君への奉公≠名の追求)をした。敵に背を見せることは恥ずべきことであった。
このレポートでは、相良亨著『甲陽軍艦・五輪書・葉隠』(1969、筑摩書房)を読み、武士の思想の部分を要約した後で、それを踏まえて菅野覚明著『武士道の逆襲』を批判的に論じる。そして最後に、武士道(武士思想)に対する自分の考えを述べる。
1.要約
《鎌倉武士の思想》
「弓矢取る身の習」、「板東武者の習」は公家に対する武士としての独自の生き方の自覚。「弓矢取る身の習」は「常の習」である。
すべての私を捨てた生き方を、和辻哲郎は「献身の道徳」だと言う。これは武士にとって、絶対的価値を持つ。主君への残りなき献身をおし出したものが、主従の情的な結合なのである。「限りなき御顧」に応える「残りなき献身」が鎌倉武士の理想なのだ。「心がはり」とは生命を思い、一族の生活を思うとき、一族の生活をすてて情に生きることである。
「運の尽き」と思い切ることは、いかに武士らしく生きたかである。いかに武士らしく生きたかは、まさに「弓矢取る身の習」なのだ。武士は、主君ではなく自分の名の追求(主君への奉公≠名の追求)をした。敵に背を見せることは恥ずべきことであった。
鎌倉仏教の成立と「弓矢取る身の習」の形成は同じ時...