日本政治思想史

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    資料紹介

    回、夏期レポート課題として、多木浩二氏の著作である「天皇の肖像」を読み、それをレポートすることとなった。政治学科を専攻する私にとって、天皇の御真影を通した江戸~明治日本の移り変わり、それは大衆から特権階級、ひいては天皇自身をも取り巻く環境の変化であり、西洋文化の流入に苦慮しつつも、国体維持のために多くの文化をとりいれようとする多くの流れがかいま見える。それは、実際には予想もし得ない事柄も含めて、大日本帝国の幕開けであった。そして、それはポツダム宣言の受諾まで続くわけだが、過去の日本の姿を捉え、またそのあまりに知られていない成り立ちを知るには絶好の著書であった。今回、それらの事柄について見識を少しでも深められたことに感謝しつつ、著書を自分なりに解きほぐしていきたい。しかしながら、私自身の不勉強も相まって、いささか難しい箇所も多々あった。読み苦しいところもあるかも知れないが、最後までお付き合い頂きたい。まず、時系列にまとめていこうと思う。江戸から幕末への移り変わりの中、江戸時代において、将軍が実質的な権威であり、天皇はあくまでも象徴である、とする「消極的権威」から、大久保利通ら新政府の人間達の手により、まだまだ幼かった明治天皇は実質的にも日本国の指導者、元帥となるべく教育を受ける。その中で、女性的であった宮廷を大きく変革し、天皇をより男らしい、多くの人間を統率出来る人間へ、また民衆にもそれを知らしめるための改革を行った。なんと言っても、幕府が消え去った中で、新政府はその力を国内的にも、また対外的にも見せていかなくてはならなかった。国内では権力を失った豪族が蔓延っていたし、民衆も体制の変化に不安を見せていたためである。そういった中で、唯一無二の天皇という存在を大きくしていき、国民に対しての「顔」または「リーダー」とすることは、国内の秩序を保つ上で非常に重要な意味があった。また、国家の力を強めていくに当たって、軍事的な意味での統率も視野に入れる中で、天皇の存在は非常に有効だったのかも知れない。その中で、名前しか知らず、実質的に何の力も持たない天皇に対して国民が持つイメージはあまりに希薄であった。こういったところから、肖像の有効性は発揮されていったとも言えよう。御真影と共に、天皇と国民との間を近くしたのは巡幸であった。実際に天皇自ら全国を行脚し(実際

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          「日本政治思想史」夏期レポート
    今回、夏期レポート課題として、多木浩二氏の著作である「天皇の肖像」を読み、それをレポートすることとなった。政治学科を専攻する私にとって、天皇の御真影を通した江戸~明治日本の移り変わり、それは大衆から特権階級、ひいては天皇自身をも取り巻く環境の変化であり、西洋文化の流入に苦慮しつつも、国体維持のために多くの文化をとりいれようとする多くの流れがかいま見える。それは、実際には予想もし得ない事柄も含めて、大日本帝国の幕開けであった。そして、それはポツダム宣言の受諾まで続くわけだが、過去の日本の姿を捉え、またそのあまりに知られていない成り立ちを知るには絶好の著書であった。今回、それらの事柄について見識を少しでも深められたことに感謝しつつ、著書を自分なりに解きほぐしていきたい。しかしながら、私自身の不勉強も相まって、いささか難しい箇所も多々あった。読み苦しいところもあるかも知れないが、最後までお付き合い頂きたい。まず、時系列にまとめていこうと思う。江戸から幕末への移り変わりの中、江戸時代において、将軍が実質的な権威であり、天皇はあくまでも象徴である、とす...

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