文京区の都市計画と歴史

閲覧数2,472
ダウンロード数11
履歴確認

    • ページ数 : 5ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    文京区は東京都23区の中心部に位置し、古くからの史跡・文化財、由緒ある公園、植物園等を多く擁し、森鴎外、夏目漱石、樋口一葉など多くの文人ゆかりの地でもあり、緑豊かな文化の香り高いまちとして発展してきた。
    私は東京ドームや後楽園,東京大学など,歴史と関係が深い水道橋から後楽一丁目,本郷について調べることにした。地図を見ても分かるように水道橋は江戸の頃から水道橋と名前がついており,これは東京都の水道の歴史と大きく関係している。
    豊臣秀吉の小田原攻めの後,徳川家康が関東を領有することになった。家康は江戸を関東支配の本拠地と決めたが,家康が始めて入国した頃(1590年)の江戸は寒村だった。台地には小さな川や湧き水があったが,低地では井戸を掘っても,その水質は塩分が強くて飲料水として使用できなかった。江戸の町に住む人々の生活用水を確保することが重要であると考えた家康は,江戸入国に当たって,家臣の大久保藤五郎に上水をつくるように命じ,小石川上水を造ったといわれている。「小石川上水」(後の神田上水)は関口で分水され、小日向台、小石川台のすそをまいて元水戸藩邸、現在の「後楽園」にも分水していた。小石川上水の水源や配水方法,経路などについては具体的なことは現在も分かっていないが,江戸における最初の水道となり,その後の江戸の発展に大きく貢献したと言える。
    「水道橋」は現在のように水圧をかけて,水を下から上に上げることができなかったし,樋をつなぐのにまず橋が必要であり,上水用の水を渡したのでこの名がついた。
    水道橋駅を出てすぐに東京ドームシティ(前の後楽園遊園地)が大きな敷地をとっているのが分かる。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    文京区の都市計画と歴史
     文京区は東京都23区の中心部に位置し、古くからの史跡・文化財、由緒ある公園、植物園等を多く擁し、森鴎外、夏目漱石、樋口一葉など多くの文人ゆかりの地でもあり、緑豊かな文化の香り高いまちとして発展してきた。
    私は東京ドームや後楽園,東京大学など,歴史と関係が深い水道橋から後楽一丁目,本郷について調べることにした。地図を見ても分かるように水道橋は江戸の頃から水道橋と名前がついており,これは東京都の水道の歴史と大きく関係している。
    豊臣秀吉の小田原攻めの後,徳川家康が関東を領有することになった。家康は江戸を関東支配の本拠地と決めたが,家康が始めて入国した頃(1590年)の江戸は寒村だった。台地には小さな川や湧き水があったが,低地では井戸を掘っても,その水質は塩分が強くて飲料水として使用できなかった。江戸の町に住む人々の生活用水を確保することが重要であると考えた家康は,江戸入国に当たって,家臣の大久保藤五郎に上水をつくるように命じ,小石川上水を造ったといわれている。「小石川上水」(後の神田上水)は関口で分水され、小日向台、小石川台のすそをまいて元水戸藩邸、現在の「後楽園...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。