唯識思想における認識の構造について

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資料紹介

仏教の唯識思想における認識の構造について論ずる。
まず、三性説、阿頼耶識といったものを取り上げ、認識の仕組みを説明する。
さらに、その考えを用いて、ニート問題など、現在の問題について意見を述べる。

資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

唯識思想における認識の構造について
はじめに
 唯識思想の認識には、知覚できる対象は実在でなく、識というものによって作り出されたものだということ、それにもかかわらず、他者と共有して知覚できる部分もあるという考え方がある。そのような考え方を、日常生活における認識について適用すると、どうなるだろうか。
 そこで、1章では、唯識における認識の構造について、調べてみたい。2章では、それをふまえて、日常生活での認識の問題と絡めて、私の意見を述べていきたい。
 
1、唯識思想における認識の構造
唯識思想には、三性説とよばれる説がある。三性とは、遍計所執性、依他起性、円成実性の3つを指す。このうち、遍計所執性は迷いの世界、円成実性は、悟りの世界を表す。依他起性は、どちらともいえないものである。
 これはどういうことだろうか。これは、幻の譬喩によって説明される。幻術師は、木片や石などに幻術をかけ、それを象や馬に見せるという。この場合、遍計所執性は、影像である象や馬にたとえられ、円成実性は、木片や石にたとえられる。すなわち、本来の姿が、円成実性であり、真実でない、幻にすぎないものが遍計所執性であることに...

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