?解釈
ボンヘッファーは自らが書いた「服従」において、イエスの戒め(絶対平和主義の立場)を、そのまま受け入れている。ただし、悪が野放しにされるのを黙っているわけではなく、神が悪を拒むことを信じて、神にゆだねるということである。神に任せ、自らが手を出して報復することはしない。悪を行うものを克服するということは、悪が抵抗する相手をなくすことであり、悪は無力化される。このとき、悪は、これ以上匹敵し得ないような相手に突き当たっている。だからこそ、悪をもって悪に報いることを行う限り、また新たな悪を生むだけである。悪を絶つためには、同じ悪をもって報復することはやめることである。
このようにボンヘッファーは解釈している。そのボンヘッファーが1937年以降、ドイツ国防軍部内の抵抗運動に参加し、ヒトラー暗殺を計画するようになるのである。これは明らかに悪に対して悪を行うことである。ここでボンヘッファーは新たな解釈をとったのである。
?新たな解釈
ボンヘッファーのとった新たな解釈が生まれる背景として、ヒトラー支配による極限状況がある。
レポート、ボンヘッファー、絶対平和主義、イエス・キリストの人格
ボンヘッファーの行動について賛成か反対か
はじめに
私は、ボンヘッファーの行動(ヒトラー暗殺計画)について賛成の立場に立って論じたい。なぜならば、ボンヘッファーは極限状況の中、自分のすべてを捨てて、個人ではなく、人々がよい生活環境を得るために立ち上がった勇気ある愛の使者だからである。
ボンヘッファーのテキスト解釈から決断までの流れ
解釈
ボンヘッファーは自らが書いた「服従」において、イエスの戒め(絶対平和主義の立場)を、そのまま受け入れている。ただし、悪が野放しにされるのを黙っているわけではなく、神が悪を拒むことを信じて、神にゆだねるということである。神に任せ、自らが手を出して報復することはしない。悪を行うものを克服するということは、悪が抵抗する相手をなくすことであり、悪は無力化される。このとき、悪は、これ以上匹敵し得ないような相手に突き当たっている。だからこそ、悪をもって悪に報いることを行う限り、また新たな悪を生むだけである。悪を絶つためには、同じ悪をもって報復することはやめることである。
このようにボンヘッファーは解釈している。そのボンヘッファーが1937年以降、ドイツ国防軍部内の...