政党の起源~自由民権運動から政党の発展~
自由民権運動
日本における政党の起源としては、1874年(明治7)1月の愛国公党の結成を挙げるのが普通である。その前年の10月、朝鮮に対する特使派遣の是非をめぐる論争(征韓論)から政府は分裂し、9人の参議のうち5人が辞職したが、そのうちの4参議(板垣退助、江藤新平、後藤象二郎、副島種臣)らが愛国公党を名乗り、民撰議員設立建白書を政府に提出したのである。しかしこれは、ごく少数の中央有力者の一時的な結集に過ぎず、その一員である江藤が2月、佐賀の乱を起こすとともに、消滅した。
その後、板垣が高知で立志社を組織するなど、各地で政治結社が生まれた。そして1875年(明治8)2月、立志社が中心となり、これらの地方政社が結集して、愛国社が結成された。これが日本で最初の全国政党ということになっている。これに対し、大久保利通は大阪へ赴いて板垣と木戸孝允と会談し、三者の妥協を図った。この結果立憲政体樹立の詔を発し、立法・司法の官制改革を行い、第1回地方官会議を招集した。とはいっても、愛国社創立大会には数十名の士族が集まっただけで、長くは続かず、すぐに解体に向かった...