積極的な学校論はどのような課程を経て、消極的な学校論へと変わったのか。
課題1
近代社会において、公教育が成立すると、教育の場の比重は家庭から学校へと移行していった。移行後も、家庭は、社会との関連は強いものであったため、ますます重要視された。したがって教育の場とは学校、家庭、社会をさす。学校の役割は、歴史的な流れとともに、積極的な学校論から消極的な学校論へと変遷をしてきている。今日では一人一人の人間形成や公民意識を育てつつ、学校に通わせるという共通意識を形成することが求められているが、具体的にどのような過程を経てきたのか以下述べる。
まず、初めて教育が共同体社会と関わりを持つことを論じたのは古代ギリシアにおいてであった。古代の教育は、スパルタとアテナイいう都市国家において国内問題や国防のために行われており、双方とも国家のよき公民となるべき教育が行われていた。そのため古代ギリシアでは、積極的に国家や社会が学校に介入していた。積極的な学校論とは、学校を共同体社会と捉え学校と社会との間に積極的に関わるべきであるとする立場である。その理論は、2つある。
まず第1に学校とは小さな社会である。
「学校は、子どもが周囲の人たちと共生するための秩序のあり方や、社会成員とし...