1980年代に世界のDRAM市場で覇権を取った日本のメーカーは、90年代に入り韓国Samsung Electronics Co., Ltd.や米Micron Technology, Inc.に敗退し衰退の一途をたどった。2000年前後に日本メーカーはそのほとんどがDRAM事業から撤退し…
平成23年7月18日
イノベーションマネジメント後半レポート
興味を持った事柄の説明とそれを選んだ理由
1980年代に世界のDRAM市場で覇権を取った日本のメーカーは、90年代に入り韓国Samsung Electronics Co., Ltd.や米Micron Technology, Inc.に敗退し衰退の一途をたどった。2000年前後に日本メーカーはそのほとんどがDRAM事業から撤退し、現在のDRAM市場における国内メーカーのシェアは10%程度である。国内メーカーの敗因の一つとして「組織経営の弱さ」がたびたび指摘される。例えばSamsung社は、1世代ごとに容量を4倍にするという業界の慣行を覆し、64Mビット品続いて128Mビット品を他社に先駆けて市場投入した。これは、当時急成長市場であったPC向けDRAM市場の潜在需要を見越した上での戦略であり、その後Samsung社は256Mビット、512Mビット、1Gビット品と続けて業界初の量産化に成功している。このSamsung社のように、市場環境の変化を予想し、それに合わせ柔軟に戦略を展開することが、日本メーカーにはできなかった、とい...