私は『論争・学力崩壊2003』を読んだ。これはタイトル通り、学力崩壊についての論争を1冊の本にしたものである。様々な雑誌に発表された論説や対談を、文部科学省の政策を用いて収録しているのだか、一貫して論じられているのは、文部科学省の教育改革路線がさらに子どもの学力低下に拍車をかけるのではないか、という点である。この本で素晴らしいのは、賛成の立場、反対の立場の意見が両方書かれていることである。このことから私は複数の視点を与えられ、問題に対して偏った見方ではなく、総合的に考えることができた。そして、この中でも私は特に第2章の「『ゆとり』教育は是か非か(p.127)」と第3章の「現場発、総合学習はこんなに面白い!(p.201)」に大変興味を持った。
そもそも、「ゆとり」教育とは何なのか。「ゆとり」教育とは、端的に言えば「生きる力」を育むことを狙いとした教育である。1996年7月に中教審答申「21世紀を展望した我が国の教育のあり方について」の中で提唱された「生きる力」とは、自分で課題を見つけ、考え、問題を解決し、あふれる情報の中から必要な情報を選択し自らの考えを構築していく力である。それは他人と協調して生活を送るために必要な力と言い換えることもできる。文科省は学習指導要領の中で、学習内容を削減し「生きる力」を育むことを目指すゆとり教育が推し進めた。具体的には、完全週5日制の導入や、総合学習の導入を指す。しかしこれらの政策は学力低下を招くとの批判もよく耳にする。
本書の「ゆとり」教育賛成の立場に立つ汐見稔幸氏は、「ゆとり」教育による学力低下の批判に対して、「学力が『低下』しているということを断定するには、過去のきちんとした比較が必要(p.131)」であると述べている。それはつまり、何に重要性を置くかによって教育法は変わるので、過去に比べて学力が「低下」しているとは必ずしも言えない、ということである。例えば、今日、計算は計算機でやっている文化・社会で計算力を動機付けるのは難しい。そのようなことを言及した上で、汐見氏は、今日「ゆとり」教育が求められている理由を、現代の子供は情報化社会の中で生きることを強いられているからだ、と述べている。
私は『論争・学力崩壊2003』を読んだ。これはタイトル通り、学力崩壊についての論争を1冊の本にしたものである。様々な雑誌に発表された論説や対談を、文部科学省の政策を用いて収録しているのだか、一貫して論じられているのは、文部科学省の教育改革路線がさらに子どもの学力低下に拍車をかけるのではないか、という点である。この本で素晴らしいのは、賛成の立場、反対の立場の意見が両方書かれていることである。このことから私は複数の視点を与えられ、問題に対して偏った見方ではなく、総合的に考えることができた。そして、この中でも私は特に第2章の「『ゆとり』教育は是か非か(p.127)」と第3章の「現場発、総合学習はこんなに面白い!(p.201)」に大変興味を持った。
そもそも、「ゆとり」教育とは何なのか。「ゆとり」教育とは、端的に言えば「生きる力」を育むことを狙いとした教育である。1996年7月に中教審答申「21世紀を展望した我が国の教育のあり方について」の中で提唱された「生きる力」とは、自分で課題を見つけ、考え、問題を解決し、あふれる情報の中から必要な情報を選択し自らの考えを構築していく力である。それは他人と...