学びに対する熱意をもつようになったきっかけや経過と、学ぶ気がなくなるようにいたったきっかけや経過について分析する。
私が学びに興味を持ったのは多分に両親の影響が強いと思われる。小さなころから私の興味をひくようにと、私を水族館やら動物園、海外旅行など様々なところに連れて行き、色々な経験をさせてくれた。そういう経験のなかで、私が何かわからないことなどあったとき、すぐに答えを言ったり、あしらったりしてしまうのではなく、「図鑑で調べよう」と一緒になって調べてくれた。
今にして思うと、そういう活動によって、両親は私に「自分で学ぶ方法」というものを教えようとしてくれていたのだろう。小さなころからそのように育てられてきたので、何かを学ぶということには熱意を持っていた。
小学校に入ってからの学びの熱意もやはり両親によるものが大きかっただろう、両親は私の意思を尊重し、私が「やりたい」と思ったことには全力でサポートすることを惜しまなかった。また、算数が出来なければ夏休みに「毎日この問題集をやってみなさい」と、分厚い参考書をわたし、そしてそれだけではなく、一緒に答えあわせをして私の算数の解答のまずさや、どうやったら出来るようになるか、ということのヒントをくれたのだ。
学びに対する熱意、学ぶ気がなくなる経緯 ~経験の考察~
学びに対する熱意をもつようになったきっかけや経過と、学ぶ気がなくなるようにいたったきっかけや経過について分析する。
私が学びに興味を持ったのは多分に両親の影響が強いと思われる。小さなころから私の興味をひくようにと、私を水族館やら動物園、海外旅行など様々なところに連れて行き、色々な経験をさせてくれた。そういう経験のなかで、私が何かわからないことなどあったとき、すぐに答えを言ったり、あしらったりしてしまうのではなく、「図鑑で調べよう」と一緒になって調べてくれた。
今にして思うと、そういう活動によって、両親は私に「自分で学ぶ方法」というものを教えようとしてくれていたのだろう。小さなころからそのように育てられてきたので、何かを学ぶということには熱意を持っていた。
小学校に入ってからの学びの熱意もやはり両親によるものが大きかっただろう、両親は私の意思を尊重し、私が「やりたい」と思ったことには全力でサポートすることを惜しまなかった。また、算数が出来なければ夏休みに「毎日この問題集をやってみなさい」と、分厚い参考書をわたし、そしてそ...