UNIQLO

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    資料の原本内容

    UNIQLO
    目次
    1.はじめに
    2.企業概要
    3.ファーストリテイリングの軌跡
    4.初期の成長を支えたユニクロの戦略
    5. ユニクロの低迷
    6.低迷からの巻き返し
    6-①. 多品種少量生産化へのシフト
    6-②. M&A
    6-③. 海外への挑戦
    6-④. CMの変化とWEB戦略
    7.今後の展望
    8.参考文献
    はじめに
    最近では、テレビでユニクロのCMを見かけない日はないのではないでしょうか。現在、ユニクロを展開するファーストリテイリングは小売業界の衣料部門でトップに君臨しています。私たちはファーストリテイリングがここまで大きく成長した要因や、どのような戦略を展開しているのかに興味を持ちテーマに選びました。
    企業概要
    名称:株式会社 ファーストリテイリング
    設立:1963年5月1日
    本社所在地:〒754-0894 山口県山口市佐山 717-1
    従業員数(連結): 6,534名 (2007年8月31日現在)
    資本金:102億7,395万円
    ファーストリテイリングの軌跡
    現在、ファーストリテイリングは小売業界の衣料部門でトップに君臨しています。(表1)ファーストリテイリングが一躍脚光を浴びたのは1998年に発売した1900円という低価格フリースの全国的な大ブームです。当時のユニクロは中国での少品種大量生産による製造小売型の業態で一世を風靡していました。しかし、時間とともに消費者に飽きられてしまい2001年をピークに売り上げが低迷していき、2003年には売り上げが約1000億円も減少してしまいました。(表2)しかし、その後、様々な改革を行うことで2004年から現在に至るまで売り上げは順調に推移し、再び復活の軌道に乗り出しています。
    表1
    (出所)四季報
    (表2)
    (出所)ファーストリテイリングHP
    初期の成長を支えたユニクロの戦略
    初期のユニクロは低価格でトレンディーなカジュアルウェアを販売し、10代20代の若者に好評でした。これらの商品はあちこちで売れ残った商品を買い取って揃えられていました。しかし、商品不足の問題が起こり、よい商品の入手が困難になりました。そこでユニクロは、「カジュアルには年齢も性別も関係ない、トレンドのものよりもベーシックなものに大きな需要がある」と考えPB(自主企画)商品の開発にちからをそそぎます。1号店が成功すると下関、岡山などの西日本を中心に展開していきました。しかし、店舗数が増えると良い商品の確保がむずかしくなりました。そして、いままで低価格だけに重点が置かれていたが、限界があり、「よりやすく」に加えて、「よりよい商品」という品質面での強化にとり組まなければならなくなりました。よりやすく製造から販売を一貫しておこなうSPAを導入し、製造小売体制になっていきました。これがユニクロの基盤となりました。
    ユニクロでは流行している商品ではなくフリース、デニムパンツ、チノパンツなどの定番商品に力をいれ厳選した少数の商品を大量に売るという販売戦略をとり、少ない商品を大量に生産することにより、原料や仕入れ価格を引き下げることで生産コストを下げました。まず、いち早く中国に優良な工場を持ち低価格で調達するモデルを構築しました。その点に関してはユニクロがメジャーになる前から業界筋の間で知られていました。そして、1996年中国に生産拠点を置き、1997年頃からアメリカの衣料品小売店であるGAP(ギャップ)をモデルとした製造小売(SPA)への事業転換を本格的に進め、経済の状況にマッチした低価格・高品質商品を展開しました。同時期に広告代理店と提携し作製した、「いかなる理由でも返品致します」というTVCMが話題になりました。これはイメージ悪化を防ぐための戦略でした。このお客様重視の姿勢がお客様の信頼を培い、売上がのびはじめます。
    1998年に都心に進出する一歩目に原宿店をオープンすると若者の間で評判になりユニクロブームが起こりました。そして、フリース600万枚キャンペーンで実際に850万枚を売りあげた。ここで一気に売上がのびる。このユニクロブームによる効果は2001年にピークを迎えるが、この頃のユニクロは「どこでも誰でもきれる」をモットーにシンプルな大量生産型の小売業でした。
    ユニクロの低迷
    大量生産型の戦略のもと1998年のフリースブーム等で売り上げを伸ばしたユニクロでしたが、2001~2003年にかけて大幅に売り上げが落ちました。(表2)
    この売り上げ低迷の要因として考えられることは、2001年に英国に21店舗展開するが、不採算により2003年に16店舗を閉鎖するなど海外での苦戦や、同時期のユニクロブームの終わりが挙げられます。このユニクロブームは、1998年秋冬に開始されたフリースキャンペーンや、1998年11月に出店した原宿店により火がつきましたが、ライバルのカジュアルチェーンや量販店がユニクロと同様に中国生産の低価格良質商品を手がけ、この種の商品が過剰供給となって値崩れする中でユニクロの価格競争力は失われていきました。さらに、2001年春ごろからマーケットはヴィンテージやリメイク、ユーズドといった人の手の温もりの感じさせる手工業感覚の商品を求めるようになり若者はセレクトショップに集まりユニクロの都心店から若者の姿が消えていきます。これらの要因からブームが終息していき、2001年8月期に4186億円の売り上げを記録した後、減収していきます。
    しかし、翌年に5000億円の売り上げを目指し走り出していたユニクロは工場の生産をすぐに止めることができずに、前年と類似した商品を大量に仕込んでしまい、商品を値下げ処分してもさばききることができませんでした。返品できない製造小売の弱点がでる結果となってしまいました。
    爆発的にヒットし、あまりに大量に売れ着用している人が多かったために、ユニクロの衣料を着用しているのが判明してしまう「ユニバレ」と呼ばれる現象が広がり、ユニクロ服を着ていると「ダサい」「恥ずかしい」との印象が広がり、これもブームの終息、経営悪化の原因となりました。
    売り上げの減収が続く中、2002年10月から新たに参入した野菜事業のSKIPは永田農法といわれる農法で作った高品質、高価格の野菜をユニクロの手法を使って安く消費者に提供しようというものでしたが、消費者の頭の中にある永田野菜の高品質、高価格のイメージや、ユニクロ=カジュアルウエアというイメージを払拭できず消費者に浸透していきませんでした。結果、野菜事業SKIPは2年足らずで撤収となりました。
    低迷からの巻き返し
    2001年をピークに売り上げが低迷していき、2003年には売り上げが約1000億円も減少したファーストリテイリングでしたが、その後、様々な改革を行うことで2004年から現在に至るまで売り上げは順調に推移し、再び復活の軌道に乗り出しました。売り上げを伸ばした要因として、大量生産型から多品種少量生産化へとシフトしたこと、フリースブーム時
    のユニクロのイメージを払拭したこと等が挙げられます。
    6-①.多品種少量生産化へのシフト
    1990年代頃から、大量生産型の企業は生き残れないと言われ始めていました。確かに世の中の大勢は大量生産型では対応できない多様化に向かっています。ユニクロも大量生産型の戦略のもと1998年のフリースブームなどで売り上げを伸ばしましたが、消費者のニーズの変化などにより2002年ごろから売上高は減少します。売り上げ回復や、更なる売り上げの増加を目指し、近年、多品種少量生産化へとシフトしてきています。ユニクロのMD(マーチャンダイジング)は時代やニーズに柔軟に対応し2006年「ユニクロ・ミックス‐単品訴求からトータルコーディネートへ」というテーマのもとにこれまでユニクロの特徴だった1アイテム単独完結型の単品集積売場からテーマ別、スタイル別に分類、編集された商品のコーディネーション展開を始め、多数の新商品が投入されました。「スキニージーンズ」「カシミヤ」に代表される先端トレンドを取り入れたコア商品や、「デザイナーズ・インビテーション・プロジェクト」のような新たな取り組みによって開発された商品です。このような新たな取り組みによる新商品と売り場は顧客に受け入れられ2006年秋冬商品が投入されだした8月の既存店売り上げは113.1%、さらに本格的に店頭展開入りした9月112.6%と久々の2ヶ月連続となる既存店2ケタ増に沸きました。こうした大胆なMD進化を可能にしたのは2005年に新設されたR&D本部によるところが大きいです。同本部は東京、ニューヨークを中心にパリ、ミラノにもデザインスタジオを置き、グローバルな体制で企画デザイン、MD開発業務にあたっています。さらに2006年に始めた新業態であるg.u.(ジーユー)でも多品種少量化方式で最先端の流行を取り入れています。
    6-②.M&A
    多品種少量生産化へシフトしたユニクロには、2010年までにグループ売り上げ1兆円、経常利益1500億円という営業目標があります。この目標を達成のための具体的な事業戦略の一つとしてファッション企業の買収が挙げられます。買収することによって、これまで以上に消費者のニーズの多様化に対応する事ができるからです。同社は国内外を問わないM&Aの目的を、事業構築の時間の節約、世界トップクラスの経営者の獲得、FRグループに足りない機能、強化すべき機能の獲得、海外事業のプラットフォーム化、などとしていますが、短期的にはこのM&A戦略が、1兆円構想の決め手になると思われます。
    その手始めは2004年に日米で人気の...

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