教育原理

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    1.“人間”を形成する教育
     
     今日まで、生物学的にいう”ヒト”は、”人間らしさ”を備え、人間社会において生活する、という前提のもと、教育は行われている。特定の文化や社会に所属し、その文化や社会を共有していくことで”人間らしさ”を備えた”人間”は初めて形成される。“人間らしさ”の形成には、他の人間、そして人間が作り出した文化的環境、社会的環境が必要となる。
    1799年、南フランスのアヴェロンの森で推定11~12歳の少年が発見された。彼は獰猛で落ち着きがなく、人にかみつく。現在の欲求の対象にのみ関心を持ち、そのほかに対する注意力、記憶力、判断力、模倣力がない。2,3歳の幼児であればすでに獲得しているはずの言語能力を持たないため、事物を的確に認識できない。無感情で、基本的な言語能力さえ獲得していない彼に”人間らしさ”はなく、その言動はむしろ動物的といえる。
    この野性児の例から、”ヒト”が”人間”となるためにはいかに教育を必要としているかが分かる。”ヒト”は、他との関係性を持たなければ”人間”となることはできない、非常に脆弱な存在であるということだ。教育こそが、”ヒト”を”人間”たらしめる唯一の手段なのだ。
    2.”人間”を豊かにするための教育
     
     “人間らしさ”を獲得したのみでとどまっては、私たち人間の生涯は希薄なものに終わってしまう。人間は、自他関係の中で生涯を通し、自らの人間観、価値観を築き上げなければならない。自分が属する文化、社会を継承しながらも、そこに新たに創造を加えるのだ。学校機関で学ぶ、科学に基づいた知識や技術では答えをだすことのできない問い(「人生の意味とは何か」、「生きるとはどういうことなのか」など)に対する真実を追い求めることが、人間の一生を豊かなものする。
     また、たとえ自分が特定の文化や社会に属していたとしても、個人として独自の価値観を気付きあげることも重要である。
    シェーラーは『宇宙における人間の地位』において、人間は他種には見られない特殊性を持っていると強調している。シェーラーによれば、人間は、世界の自然法則に従わなければならないが、”どのように”従うのかは自由に選択できる。これは、人間だけが持つ「精神」が可能にすることである。人間は、自分が生きていく環境も自分の生き方もすべて、その精神によって対象化することができるのだ。
     人間は、己が「精神」をもつ存在であり、自ら生き方を選択できるということを意識て”自分らしい”人間観や価値観を築き上げなければならない。
    3.教育の意義  
     上記で述べたことから、教育には、下位機能に、単なる生物学的な”ヒト”から、”人間らしさ”を獲得して”人間”となるための手段、そしてその上位機能に、”人間”としての一生を豊かにするための手段、という機能がある。最終的には、「生きること」を通してしか知りえない価値観の構築を、人間の一生をかけてまなびとっていくこと(=「生涯教育」)こそ、教育が目指すべき最終地点である。教育とは、人間を豊かにするための最大の拠り所となるべきものなのだ。
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