まず注目すべき点としては、この作品には「忠臣蔵」の世界と関わりを持つ登場人物が出てくる、とう事が挙げられる。
『東海道四谷怪談』を読んでみると、まず、この四谷怪談は「仮名手本忠蔵」の脇筋の仇討ち話になっていることに気づく。すなわち、伊右衛門は忠臣蔵の浅野(仮名手本では塩谷冶判官)の浪人であり、伊右衛門に一目ぼれして嫁いでくるお梅の祖父伊藤喜兵衛は吉良家(高師直)の家臣ということになって
お岩という女性が死んでから200年がたとうとしているのに、いまだに江戸では根強い人気があったので彼女を題材にした歌舞伎を作れば大当たりするのではと考えた南北は、事実のような善人の話では刺激が無いので、どぎついまでの脚色を施した。「お岩」という名前だけを借り、上で述べたように、当時江戸で話題を呼んださまざまな事件を盛り込んだ。そして貞女のお岩とは正反対の怨霊お岩を作り出したのだ。刺激に飢えた江戸の人間を呼ぶにはこれくらいの脚色があったほうがうける。南北はそう考えたのではないだろうか。
事実、『東海道四谷怪談』は大受けしたわけだが、それには当事、幕藩体制を批判したり、現実の事件をそのまま芝居の題材とする事が固く禁じられていたという背景がある。江戸の庶民は、伝説の人物をモデルにしつつ、実際の事件を盛り込み、現実社会の赤裸々な姿、矛盾をえぐり出す芝居に惹かれたのではないだろうか。
日本近世文学レポート
『東海道四谷怪談について』
私が近世文学について興味があることは、怪談狂言の傑作、文政八年(1825年)初演の『東海道四谷怪談』だ。京極夏彦氏の『嗤う伊右衛門』という小説を読んで興味を引かれたことと、実家に「於岩稲荷田宮神社」のパンフレットがあったことがその理由である。
作者の四世鶴屋南北は江戸日本橋生まれ。三世の女婿に入り、1811年に襲名。歌舞伎役者と台本作者で5代目まであるが、有名なのは四世(1755~1829)で他の四人の南北と区別する意味で「大南北」と呼ぶこともある。
その作品は着想と仕掛けの斬新さに優れており、生世話といわれるほど写実性に溢れた作品で、その写実もどちらかといえば、社会の底辺に生きる人々の、どろどろとした生活を生々しく描いているところに、大きな特徴がある。そのリアルな風俗描写は現代にも通じるものがある。
南北は、当時江戸市中で起こった、旗本の妾と家臣との密通がばれてしまい杉戸の表と裏に貼り付けられて神田川に流されたという有名な事件等を使って書き上げた。これが『東海道四谷怪談』だ。
まず注目すべき点としては、この作品には「忠臣蔵」の世界と関...