理解する、ということ(言語、論理、知識を通じて)(単位取得)(2010年)

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単位を取得済みの合格レポートです。コミュニケーションにおける理解を考えるとき、言語、論理、知識の存在は欠かせない。これらは理解する際の情報の媒介あるいはフィルタとして機能するのみならず、相互に補完し合う。これらの要素が理解と言う行為にどのような影響を持ち、どのように相関し合うかについて論じたい。

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コミュニケーションにおける理解を考えるとき、言語、論理、知識の存在は欠かせない。
これらは理解する際の情報の媒介あるいはフィルタとして機能するのみならず、相互に補
完し合う。これらの要素が理解と言う行為にどのような影響を持ち、どのように相関し合
うかについて論じたい。

言語の役割と影響

我々は日々、言語を使ってものごとを知ったり、考えたり、他人とコミュニケーション
したりしている。こうした営みの中で言語はどのような役割を持っているのか。言語は記
録と伝達のツールとして捉えられるが、同時に言語を使って(あるいは言語によって)も
のごとを考えたり知ったりすることもある。

ことばがわかる、というのは、言語としてのことばが何を指すかを相互に理解できるこ
とである。コミュニケーションが成立するためには、その内容に対する賛否に係わらず、
まずは概念において言語の捉え方における一定の一致がなければならない。言語において
さえ一致が見られない関係においては、理解はおろかコミュニケーションすら成立しない。
しかしそれだけではない。「わかる」という状態は、「意味が通じる」という意味も含まれ
ている。...

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