札幌市の時計台について

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    資料紹介

    l 時計台のしくみ
    時計台の時計は、鳩時計と同様の振り子時計で、動力にはおもりを利用している。この仕組みの時計としては、日本で原形のまま正確に作動している最も古い塔時計と考えられる。
     時計機械をおさめている時計塔の内部は5階建てになっていて、外から見える文字盤は5階の位置にある。4階には時計機械の本体が据えつけられ、3階まで吊り下がった大きな振り子の振動が伝わり大小さまざまの歯車が動き時を刻む。
     そして、時計歯車と鐘を打つ槌の動力となっているのはワイヤーでつながれた2つのおもりである。時計歯車用のおもりは2階まで、槌用のおもりは1階まで下がっている。このおもりには、木箱に豊平川の玉石を入れたものが使われている。重量は運針用が約50kg、打鐘用が約150kgで、巻き上げは今も人力により週2回行っている。
     

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    札幌市の時計台について
    所在地
    札幌市中央区北1条西2丁目
    時計台の歴史
    明治11年(1878年) 10月16日札幌農学校演武場として時計台完成。 明治12年(1879年) 札幌本庁が焼失による1月20日時計台が仮本庁舎として事務取扱を開始。 明治14年(1881年) 7月新しい時計塔を作り、ハワード社の時計機械を設置する。 明治25年(1892年) 5月4日大火の発生により、学生は演武場の類焼を防ぐため屋根に上がって消火に務める。この火事で裁判所が焼失、翌年12月まで演武場を裁判所として使用する。 明治36年(1903年) 7月28日札幌農学校の新校舎が現在の北海道大学の位置に完成。演武場とその敷地の一部は札幌区に貸与され、公会堂として使用された。 明治39年(1906年) 札幌区に移管となり現在地に移転する。 明治40年(1907年) 5月10日札幌に大火が発生し郵便局が焼失、演武場が仮郵便局及び電信局に使用される。 明治44年(1911年) 北海道教育委員会が事務所及び図書館として使用する。 大正 7年(1918年) 北海道教育会が解散し、図書館は札幌区教育会に引き継がれる。 大...

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