映画『カラーパープル』、『母たちの村』の中に、性差別によって生じた黒人女性の虐待、女性のFGMなど女性問題をいきいきと描かれていた。結局はひどい目に合わされた女性たちの勝利となっていたが、女性に対する差別は実際に何も変わっていない。Mrにしても、村の男たちにしても、今までやったことに対してまったく反省せずに、あたりまえと思い込んでいる。なぜそうだったのか。まず差別とは何かを理解する必要があると思う。
差別が悪いことは誰でも知っており、差別しないことがいいことだというはあたりまえのことであるされる。だが実際、差別とはそんなに簡単なことではない。
差別が簡単なことと思われてきた背景には、差別が現実的な利益や不利益の不平等配分と等しく考えられてきたことがあろう。不平等は悪いことである。なぜなら現代社会を見ていない理論だということは明白である。現代社会には現実に利益や不利益の不平等分配は数限りなくある。能力主義にもとづく昇進や賃金格差は津々浦々にいきわたっている。その場合、人々がそれに対して差別だといって批判しないのは、それが正当なものとして社会的に承認されているからである。
だが、相...