「サバルタンは語ることができるか」、この本を読んで、いろいろな感心が浮かび上がった。著者自身がインド人だから、インド人の視点から客観的に寡婦たちの遭遇をより詳しく説明した上、インドの各社会問題を指摘した。この本の中心である殉死した寡婦についての研究はちょうど僕にも何ヶ所から聞いたことがある。
インド教の教義により、結婚、生育、家事、老人を奉仕する、夫の話を聞くなどなどは妻としての責任と見なされている。そして、処女の保護はインドの女性にとって、最高の使命である。何を失ってもよい、処女は奪われることだけは許さない。その理念のため、寡婦は二度と花嫁になれなくなった。妻は夫の付属として、夫が亡くした以上、妻一人だけ生きる筋合などない。ということで、多くの寡婦たちは自らの意志で、あるいは他人の手によって、死の道を選んだ。
世界中の寡婦たちはみんな夫の死により悲しんでいる、もう十分不幸である。しかし、インド人としての寡婦たちは,不幸中の不幸である。彼女たちは夫を失うことだけではなく、まもなく自分自身も、夫に追いかけることになる。 フランスの作家、ジュール・ヴェルヌは自分の小説「八十日間世界一周...