占領期のメディアとプロパガンダ
特にテレビ・ラジオ
第八章 日本軍のメディア戦術・戦略
中国戦線を中心に、ラジオから探る
この章を見ると、ラジオなどの情報宣伝活動が様々な場面で使用されてきたことがわかる。私はメディアの中でも、特にラジオに注目した。
「放送協会システム」の拡大
日本内地では1925年東京、大阪、名古屋に放送協会が成立し、1926年に統合し、日本放送協会が成立。その後、台湾などの外地でラジオの試験放送を行い、1927年には日本の4番目の放送局として京城放送局(朝鮮)が放送開始。各地放送ネットワークの中心にあったのが1928年に東京に設置された10kwの放送局。当時の東アジアでは最大級。このように電波戦争の引き金になったのは、放送協会システムの拡大と10kw放送の開始ではないかといわれている。この放送協会というシステムは政府の強いコントロール下で複数の放送局の財団、運営などを管轄することを特色としていた。
満州事変後に(1931年)国民政府は南京で日本を遥かに超える75kwの放送を開始した。(世界3位の出力)これを機に主要都市に次々と公営の局が成立。民営の局も上海を中心に成立した。ただ、局同士の連携は技術上なく、局地的...