近代社会である民主主義は、全てキリスト教国家から生まれた概念であり、今日、キリスト教対イスラム教がイラク戦争や911など様々な悲劇を生んでいる。(イスラムの規律=法律となっている)イスラム教国家であるトルコが、どのように文明化に対応してきたのかを、この時代に影響を及ぼした2人の人物を中心にみていきたい。
軍人ムスタファ=ケマル=アタルテュク(以下アタルテュク)は、1915年に第一次世界大戦のガリポリの戦いで、イギリス・フランス連合軍を撃破した英雄として登場し
「アタルテュク・ヌルスィー−トルコ近代史」
近代社会である民主主義は、全てキリスト教国家から生まれた概念であり、今日、キリスト教対イスラム教がイラク戦争や911など様々な悲劇を生んでいる。(イスラムの規律=法律となっている)イスラム教国家であるトルコが、どのように文明化に対応してきたのかを、この時代に影響を及ぼした2人の人物を中心にみていきたい。
軍人ムスタファ=ケマル=アタルテュク(以下アタルテュク)は、1915年に第一次世界大戦のガリポリの戦いで、イギリス・フランス連合軍を撃破した英雄として登場し、1919年トルコ国民自由戦争のカリスマ的リーダーとなった。1920年代には多くの侵略軍の攻撃に対し、勝利をおさめて国を独立へ向けて導くことにより、600年続いたオスマントルコ帝国の歴史に終止符を打ち、1923年に新しい政府を組織してトルコ共和国を建国、初代大統領となった。
1924年アタルテュクはカリフ制(イスラムの戒律に則った政治体制)を廃止させ、8つの基本改革(法律の改革・社会の改革・経済の改革・言語の改革・女性の地位の改革・教育の改革・文化と芸術の改革・内に平和、外に平和)を...