福沢諭吉〜自伝から見える人物像〜

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    資料紹介

    はじめに
    彼は歴史の教科書では明治時代に活躍した人物としている。確かに彼に関する「慶應義塾」、「学問のすすめ」といった有名なキーワードは明治時代に現れているものである。だが、彼が生まれたのは幕末の時代である。主な活躍は明治時代に入ってからであるが、幕末に1つも活躍がなかったわけではない。そこで彼を幕末の人物に含めることにした。
    現在私は、明治時代に主張されていた「脱亜入欧」という思想について調べているのであるが、この思想を調べることにおいて彼の思想が影響しているのである。彼について調べることで「脱亜入欧」についてより深い理解が得られる。また反対に「脱亜入欧」について調べることで彼についてのより深いが得られるという相互作用が起こると考えた。これが彼を選んだ一番の理由である。
    第1章 生い立ち
     福沢諭吉は天保5年12月12日、大阪で5人兄弟の末っ子として生まれた。彼の父は中津奥平藩の士族福沢百助、母は同藩士族橋本浜右衛門の長女、お順である。身分は下級武士の中で最上級の位置にあった。生まれは大阪であるが、父が病死したため故郷の中津に戻らなければならなかった。しかし故郷の環境に馴染むことが出来ず、いつも兄弟で集まっていたようである。
     彼が書を読み始めたのは数え年14,5歳のときであり、他の子供たちよりも3,4年遅れていた。しかし諭吉はその子供たちよりも書の内容を理解し、3,4年のうちに白石1という先生の下であらゆる漢書をよんでしまった。
     また、この頃より中津の封権制度的束縛に憤るようになり、なんとしてでもこの中津の地を離れたいと思っていた。

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    福沢諭吉
    ~自伝から見える人物像~
    はじめに
    彼は歴史の教科書では明治時代に活躍した人物としている。確かに彼に関する「慶應義塾」、「学問のすすめ」といった有名なキーワードは明治時代に現れているものである。だが、彼が生まれたのは幕末の時代である。主な活躍は明治時代に入ってからであるが、幕末に1つも活躍がなかったわけではない。そこで彼を幕末の人物に含めることにした。
    現在私は、明治時代に主張されていた「脱亜入欧」という思想について調べているのであるが、この思想を調べることにおいて彼の思想が影響しているのである。彼について調べることで「脱亜入欧」についてより深い理解が得られる。また反対に「脱亜入欧」について調べることで彼についてのより深いが得られるという相互作用が起こると考えた。これが彼を選んだ一番の理由である。
    目次
    生い立ち
    英学と渡米・渡欧
    幕府に対する態度
    新維新に対する態度
    まとめ
    生い立ち
     福沢諭吉は天保5年12月12日、大阪で5人兄弟の末っ子として生まれた。彼の父は中津奥平藩の士族福沢百助、母は同藩士族橋本浜右衛門の長女、お順である。身分は下級武士の中で最上級の位置にあった。...

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