世界のメディア・アカウンタビリティ制度 2010年 クロード‐ジャン・ベルトラン 前澤猛訳 MASは「メディア倫理」と混同されるが、後者は多くの場合、書物や講演や会議の枠に止まっている。また、「自主規制」と同類化されるが、そちらは、メディアが法的規制を阻止するための約束事に他ならない。MASは、メディアだけでなくジャーナリストをも抱え込み、さらに決定的な点としては、直接にあるいは間接的に大衆を取り込んでいる。また、MASは論より行動だ。なにか過ちを慎むだけでなく、進んで善を行う。「メディア倫理」という道徳的価値観は、実際には、「公共奉仕」といった社会的理念や「品質管理」といった経済的理念に、賢明にも置き換えられる。あるいは、「倫理及びMAS」という結合語を使ってもよいだろう
ヨーロッパで「倫理」が「法や公的規制」としばしば混同される理由の一つは、メディア企業の罪とジャーナリストの罪との混同から生じる。こうした混同は、MASと自主規制でも同様だ。なぜなら、メディア人の多くは、優れた力の源―公衆―に頼ろうとしないからだ。
民主的議会で制定される法は、有能で独立した行政官によって解釈され、国...