地理学概説

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    北方領土問題、農業問題

    資料の原本内容

    1、領土問題・北方領土
     北方領土とは日本とロシアとの間で帰属をめぐって決着のついていない、歯舞諸島、色丹島、国後島、択捉島の四島を示す。場所は北海道の東に位置する根室半島のあたりに歯舞諸島、色丹島があり、国後島と択捉島はロシアのカムチャッカ半島から北海道の東部まで連なる火山列島の最南端にある。北方領土問題とは、先の大戦後、半世紀を経過した現在、なお、ロシアの不法占拠の下に置かれている我が国固有の領土である北方四島の返還を一日も早く実現するという、まさに国家の主権にかかわる重大な課題である。現在、北方四島には日本人は住んでいない。 第二次世界大戦後の日本人の強制送還以来、住むことを許されていないのだ。北方四島の現在の住民は旧ソ連の人々のみである。また、 島の所々にはロシア国境警備隊が置かれており、日本漁船などが簡単に入り込めないようになっている。  戦前は島民すべてが日本人であったが、戦後からはずっとロシア系住民が住んでいることもあり、四島はまるでロシアのようだという。また、島には現在も道の整備がされておらず、車で移動する際にはあまりにも激しい揺れで目的地についた時には足がガクガクになってしまうほどだそうだ。  けれど、その分自然が大変豊かであることも忘れてはいけない。その表れとして「クナシリ」という地名は、アイヌ語の「緑が多く黒く見える島」という言葉に由来している。 また、北方四島は海の資源も豊かであり、現ロシア系住民は主に北方四島の近海でとれた豊富な海産物を中心として生計をたてて生活している。  ところで北方四島の住所はというと、「ロシア共和国サハリン州のクリリスク」となっており、決して「択捉島」や「色丹島」という住所は使われていない。世界の地図では調査した結果によると北方四島を日本の領土としていた地図は、たったの五カ国だけであった。しかし、外務省などによる地図表記の変更を求める運動の結果、最近では「日ロ間で帰属を論議中」や「ロシアの行政下にあるが日本が返還要求をしている地域」などの地図表記が欧米諸国において増えつつある。  戦後、北方領土問題ができて日本とロシアの間には大きな溝ができてしまった。そしてその溝は何十年経った今でも埋められてはいない。けれどこれは決して両国の努力が足りなかったわけではない。これまで日本とロシアはこの問題を解決するため、国交を正常化させるために、何回も何回も話し合いを重ねまた最近ではその度に前向きな考えを示し合った。
    「北方領土問題」が発生してもう半世紀以上も経っているが未だに解決していないことは非常に残念である。しかし、少しずつでも確実に問題は解決に近づいていると私は確信している。しかも「エネルギー開発協力」や「経済協力」など、領土問題だけにとらわれずに協力し合える仲間となっている。国交というのは領土の問題に振り回されるべきではないのだ。だから私は今回の経済協力をすることに対しては大賛成だ。四島を返還されることで日本は、世界でも例のないようなすばらしい地域を作るチャンスを与えられた。その機会を利用して日本に世界の模範となるような二つの国の人々が共存する「北方四島」を作っていってほしい。 返還後の北方四島について、リゾート開発をするという意見も少々出ているようだ。けれどそれは日本だけの利益にしかならない。また経済的にも非現実的であると思う。 今現在では、返還後に四島を両国民雑居の地としようとする意見が有力であるという。それは1992年から始まった現島民と旧島民が互いに家に訪問し合うなどの交流ができるビザなし渡航のよい結果であると私は思う。実際に現島民も旧島民も互いに交流することによって気持ちが変化するそうだ。北方領土返還後、日本は現島民のロシア系住民に対し、過去にされたような強制移住は絶対にしないであろう。その時、北方四島は日本でありながら、島民のほとんどがロシア系となる。このような二つの国の人々が共存する場所は世界でもまれである。過去に日露通好条約で樺太は「両国民雑居の地」となったことがあった。しかしこの時両国は、自分の都合のいいように条約を解釈し、結局世界でもまれな二つの国の人々の混住は20年程しか続かなかった。それから時が流れ21世紀。この新しいスタートラインに立った今、両国は過去の失敗をもとに話合いを重ね、民族の共存する世界の模範となるような新しい地域を作り上げていってほしい。
    2、農業問題  日本の食料自給率は長期にわたって低下傾向で推移している。ここで注目したいのが豆類と供治熱量の自給率である。人間が命をつなぐ最低の食料は穀物・野菜・豆類と言われている。このことに対して、米・野菜の食料自給率はまだいいとして、豆類は全くお話にもならず、米にしても、昭和45年からの生産調整で生産意欲は減退しているといわれているので、この率が維持されるという保障はない。物価の優等生と言われる鶏卵は平成10年96%となっているが、これは国内で産まれた卵というだけで、飼料の自給率は10%くらいだから、本当の自給率はうんと小さい計算になる。供給熱量総合食料自給率は1965年度の73%から99年度には40%に、穀物自給率は同期間に62%から27%へといずれも大きく低下している。主要先進国の供給熱量ベースでの食料自給率の推移をみると、日本の食料自給率の動向は、欧州諸国が1970年代以降の30年間に、生産力を高め、自給率向上を実現してきたのとは対照的な動きとなっているそして日本の食料白給率は、先進国の中では最低となっている。  反対に農産物の輸入は、年間約4兆円で、世界第1位で、2位のドイツの3倍であり、日本の輸入総額の約20%を占めている。  農業人口についても現状はよくない。農家総戸数は、1960年に606万戸が2000年に312万戸に半減し、2005年には283万戸まで減少した。農家人口は、同じ時点で3441万人が1346万人に、農業就業人口は、1312万人(人口比30%)が299万人(人口比5%)に激減した。農業就業人口の60%は女性である。  しかもこの激減する人口の分布では、農家人口に占める65歳以上の高齢者の割合をみると、1990年には約19%だったが、2005年には32%に達しており、上昇を続けている。60歳以上だと、1960年の20%弱が、95年には62.5%にもなる。そのうえ、少子化の顕在化も進行している。全国的に出生率の低下に伴う少子化も顕在化しており、2000年における総人口に占める14歳以下の年少者の割合は14.7%となっているが、農家人口に占める年少者率(同じく14歳以下)の推移をみると、65年の29.0%から2000年には12.8%まで低下している。また、近年、高校や大学を卒業した後に農業を継ぐ者は毎年約7000人しかいない。こうして、過疎の村が全国各地に広がっている。
    では今後どのように日本農業は進んでいけばよいのでしょうか。
    まず農民の減少と高齢化に対しては、喜ばしいことが起こってきている。それはまだまだ数は少ないのですが、サラリーマンが脱サラして農業に挑戦する人が出てきたことで、農林水産省が昭和62年から設置した新規就農ガイドセンターへの相談者数は、62年に650人、平成6年には2560人と増加を続けている。また若年層でも非農家出身のターンが増えていて、農業大学校の入学者の非農家出身者は平成6年には18%にも達しています。こうした農業への転向は、農業を経営するというやりがいや、自然環境への回帰思考など都市にない農村の魅力が評価されている現われだと思われます。このことにより農民の減少、高齢化、過疎化の問題は解決の糸口が見出せると思われる。
    また外国の安い農作物の輸入の増加による、食糧自給率の低下の問題はどうすればよいのでしょうか。世界最大の農作物の輸入国である日本は、農作物の輸入自由化の波に呑まれ、外国の農作物に頼り切る大変先行きの不安定な状態になってはいけないのだ。そのため日本農業の今後は無農薬や有機栽培による安全な食料を生産し、それによる形の悪いものや、虫に食べられた後があるからといって敬遠するようなことをしない賢い消費者をそだて、質の高さで外国産に対抗すればよいでしょう。食糧自給率の低下の問題は消費者と生産者が一体となって守っていくよう努力すれば先が見えてくるはずだ。日本農業の先行きは厳しいようですが、国民や政府が真剣に問題解決の努力をすれば解決するための糸口もないことはないでしょう。

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