白居易の楊貴妃を描く変遷について
『白居易の楊貴妃を描く変遷について』
白居易の詩の中で、古来より多くの日本人に愛されたものといえば、そのひとつに「長恨歌」が挙げられる。長恨歌は叙事詩の体裁で、唐の玄宗皇帝とその愛人楊貴妃の悲劇的な恋物語を詠った作品である。しかしここで問題としたいのは、白居易がこれを詠じた年代についてである。
西暦七七二年、鄭州に生まれた白居易は、宣州の郷試に及第し、二十七才で省試に及第する。これで白一族最初の進士合格者となった。さらに貞元十八年、書判抜萃科に及第し、校書郎に任命された。三十四才で校書郎を辞し、再び勉学に励んで元和元年、才識兼茂明於体用科の考試を突破して盩厔県尉に補せられる。その任地が長安の西の地であり、白居易はここで「長恨歌」を発表したようである。
内容を見ると、「天生麗質難自棄 一朝選在君主側 囘眸一笑百媚生 六宮粉黛無顔色」「雲鬢花顔金歩搖 芙蓉帳暖度春宵」(『白楽天全詩集』誠進社より。以下、白居易の詩に関しては同じ)といったように、楊貴妃の絶世の美貌を描きあげた。
この詩歌は大きく三つの部分に分けられる。一つめは、楊貴妃が死去するまでの三十八行である。そして二つめは、玄宗が楊...